吉田戦車「日本語を使う日々」

第三十三回 「鍋と私」

第三十三回 「鍋と私」

 鍋が好きだ。
 よせ鍋やちゃんこ鍋などの鍋ものが好きなんだね、と思われるかもしれないが、もちろん好きではあるが、そういう意味ではない。
 食べ物を煮炊きし、焼いたり揚げたり蒸したりするための道具であるところの鍋が好きだ。ぜんぜん料理好きじゃないのに「鍋が好きだーー!」などと叫べば、それはなんだか理解不能なある種のフェチシズムを感じさせるわけだが、さいわい料理好きだから、鍋好きなのである。
 どれほどに鍋が好きか。
 数年間の独身住居だった仕事場をたたみ、今は自宅と統合しているわけだが、その仕事場に最終的にあった鍋は、20個に及んだ。
 片手鍋7、両手鍋2、フライパン4、土鍋4、圧力鍋1、親子丼鍋1、鉄鍋1……
 多い。コックさんにでもなる気か、と思う。今回の一枚(クリックすると大きく表示します)
 妻・伊藤理佐の台所と統合するために、泣く泣く食器類や鍋類を処分していったのだが、ある意味スッキリするとともに(ほとんど使っていない鍋も多かった)モノに対する申し訳なさで身が縮む思いもあった。年経た器物が妖怪になるような話を好んでいながら、この仕打ち。祟られるのではないかと、ちょっと真剣に怖くもあったのだ。
 それほどに食材を料理に変え、我々の命をささえる道具である鍋には、なにかスピリチュアルな気配が漂う。人の体は、鍋を介して他の命とつながっているともいえるのだった。

 上京し、一人暮らしを始めて、初めて自分で買った鍋のことはよく覚えている。それは、テフロン加工のフライパンであった。他にもみそ汁やラーメンを煮る小鍋ぐらいは持っていたはずだが、それは買った記憶がない。母親が買っておいていったのか、実家のいらない鍋を送ってよこしたか、そんなところだろう。
 フライパンがなかった。スーパーに行けば3食入った焼きそばが売られており、もやしなどの野菜や肉のきれはしを入れてそれを炒めれば手軽な完全食になるな、と思った。電気釜は親が買ってくれていたので、冷や飯をチャーハンにすることもできるわけだ。
 すでに東海林さだお、椎名誠などの著作を好んでおり、ビンボー自炊に対する意欲はあった。そのためには、なによりもまずフライパンではないのか。
 当時は東京都町田市に住んでおり、古い味のある店が建ち並ぶアーケード街の金物屋さんで、フライパンを買った。テフロン加工のものがこびりつかなくていい、という知識をどこかから得ていたため、迷いはなかった。数年あとの自分なら、迷わず鉄の中華鍋をチョイスしたと思う。「鍋を一つ買うならまずあれ」ということを、若さゆえにまだ知らなかったのだ。
 そうだ。同級生(男)といっしょだったのだ。
「おれは焼きそばを作りたい。フライパンを買うからつきあえ」
 そんなことを言い、そいつもヒマなのでつきあってくれたのだった。
 彼が店のおばちゃんにこういったことを覚えている。
「こいつ、これで焼きそば作るんです」
 なぜそんなことをおばちゃんに報告したのか。そういう空気だったのか。そこらへんのことはあまりよく覚えていない。

 焼きそばを始め、いろいろな学生っぽい料理をそのフライパンで作ったが、悔しいことに1年もしないうちに表面加工がはげ落ち始め、哀れな「くっつくフライパン」になっていった。安物だったのだろう。
 2、3年はそれで我慢をしたのだったと思う。次に鍋を買った記憶は、町田から代々木上原に引っ越した時だから、もう大学はやめ、漫画やイラストの仕事をしていた。初めて自分の稼いだ金で買った鍋、ということになるのかもしれない。
 選んだのは鉄製の片手中華鍋だった。記憶はあいまいだが、当時の新宿のどこかのデパートに、中華街的に道具が充実した売り場があり、そこで買ったような気がする。中華鍋を洗う竹のササラも買った。
 この鍋一つあれば炒めもの、揚げものはもちろん、ゆでもの、煮物、蒸し物、炊飯すらできる、という魅力的な知識を、なにかの本から得たのだった。そこまで使い倒さなくても単純に便利な鍋であり、使用後は洗剤を使わずにササラで洗い、火にかけて水分をとばせばいい、という簡便さも気に入った。
 鉄の取っ手が熱くなるので、布を巻いて使いやすくしたことは覚えているのだが、どんな料理を作ったのかはまったく記憶にない。自炊なんてそんなものかもしれない。

 その後の人生の中で中華鍋は、あったりなかったりだ。近年は、あったにはあったが、長年愛用しているステンレス5層鍋もフライパン的な使い方ができるため、あまり使用頻度は高くなかった。よって、このたびの台所統合に際して残念ながら処分してしまった。
 そのかわり、底が平たいがある程度深みのある鉄のフライパンは新居に持ちこんだ。妻は「安い樹脂加工フライパンをボロボロになったら買い替えていく」という思想の持ち主であり、私のフライパンは使おうとしない。それはなんとなくホッとすることだ。
 おたがいにかなり鍋類は処分したので(特におれ)新しい物を買うということは当分しないはずだったが、2人分の麺類を余裕を持ってゆでる鍋がないな、ということに気づいた。赤ん坊が成長すれば3人分ゆでる必要も出てくる。
 ネットで探し、妻にも相談した結果、久しぶりに買った鍋は[段付き鍋]または[円付き鍋]などと呼ばれる、日本製の懐かしい丸みを持つアルミの鍋だった。ノスタルジックではあるが、実家や祖父母の家で見た記憶はない。家庭用ではなく、プロの世界で発達した鍋なのかもしれない。アルミのフライパンや寸胴などの仲間、というべきか。
 打ち出し研磨仕上げと能書きがあり、商品名は[打出料理鍋]という。サイズは24cm。水が3.9リットル入り、内部に水量のメジャーが刻印されている。
 妻子の留守を見計らったわけではないが、鍋は留守中に届いた。いそいそと一人きりで、久しぶりの新鍋をていねいに洗い清め、ブチュッとキスをしたのちに(冗談です)乾しそばをゆでた。

第三十三回 「鍋と私」