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第9回 幻の「東京ホテル」を探す地図の旅(後編)
2015年8月3日 山根一眞

日比谷公園の場所には仮の国会議事堂が

 その場所は、現在地でいうと日比谷公園の東北角、日比谷交差点を銀座方面に渡った左手だ。丸の内警察署やニッポン放送があるあたりだ。
 リサールが恋人、おせいさんと「東京ホテル」で過ごしたのは1888年(明治21年)。その2年前の地図なのだから、「東京ホテル」の可能性はある。
 俄然、元気が出てきた。このポイントにしぼって、以降の地図を調べてみよう。
 翌年、1889年(明治22年)の「改正明細東亰圖付横濱全圖」にも記載があるに違いないと思ったが、こちらにはなし。
 いやいや、めげないぞと1890年(明治23年)の「改正東亰全圖」を見たところ、同じ場所にやはり2階建ての建物の「ヘタウマの絵」。窓が3つしか描かれていないが、これ、やはり「東京ホテル」じゃないのか。もっとも、この一角には「陸軍裁判所」「教導団工兵」など軍関係の施設が描いてあるので、この建物もホテルではなく兵舎かもしれない。
『改正東亰全圖』(1890年・明治23年)。
 この地図を見て驚いた。今の日比谷公園のエリアから「陸軍練兵所」が消えており、代わりに「国会仮議事堂」の建物がドンと描かれているのだ。そりゃ、何だ?(と、また脱線)
 「ジャパンナレッジ」(「日本大百科全書」)では「国会議事堂」の項で次のように記していた。
 1890年の第1回帝国議会の召集にまにあわせるため、現在の東京都千代田区霞が関(かすみがせき)1丁目(現経済産業省構内)の位置に木造の仮議事堂が建築された。
 国会仮議事堂は、日比谷公園ではなくその西側、現在の霞ヶ関に建てられたという。そこで「改正東亰全圖」をよく見ると、どうも仮議事堂の「ヘタウマ絵」を大きく表現するために、現・日比谷公園のあたりにはみ出して描いたらしい。それは、この地図の施設の位置関係はかなりいい加減だということを意味している。と、なると、丸の内警察署やニッポン放送界隈にあったあの建物は「東京ホテル」ではないのかもしれない。
 ちょっとめげつつ、1891年(明治24年)「改正東亰測量里程新圖」を表示し、日比谷界隈をクリック拡大したところ、何の意味なのかべったりを赤く塗りつぶされた場所のひとつで黒い文字が読めた。
「東京ホテル」!
『改正東亰測量里程新圖』の全図(1891年・明治24年)。
『改正東亰測量里程新圖』の日比谷界隈を拡大。
『改正東亰測量里程新圖』に記されていた「東京ホテル」。
 苦節ウン月、ウン日、ウン時間、ついに見つけたぞ、「東京ホテル」!!
 その場所は、何と、現在の日比谷公園の、あのリサールの像の日比谷通りをはさんだ、はす向いの真正面だった。
 ブロンズ像の碑文に刻まれていた

   フィリピンの国民的英雄
   ホセ・リサール博士
   1888年この地
   東京ホテルに滞在す

 「この地 東京ホテル」が古地図上で確認できた一瞬だった。
第9回 幻の「東京ホテル」を探す地図の旅(後編)
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著者プロフィール
山根 一眞(やまねかずま)
 ノンフィクション作家・獨協大学特任教授
 1947年、東京生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。20代からジャーナリズムの仕事を開始。先端科学技術や情報分野、アマゾン環境問題など広いテーマで「謎」を追い求めてきた。NHK総合テレビでキャスターを7年こなし、北九州博覧祭では「ものつくりメタルカラー館」の、愛・地球博では愛知県の総合プロデューサーをつとめた。2009年から母校で経済学部特任教授として環境学や宇宙・深海、生物多様性などをテーマに教鞭もとっている。3.11で壊滅した三陸漁村・大指の支援活動も続けている。主な著書に単行本と文庫本25冊を刊行した「Made in Japan」を担うエンジニアたちとの対談『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館)、『環業革命』(講談社)、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス、東映で映画化)、『小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦』(講談社)など多数。『日経ビジネスONLINE』では「ポスト3.11日本の力」「山根一眞のよろず反射鏡」を連載中、福島第一原発の廃炉技術も追い続けている。理化学研究所相談役、日本生態系協会理事、宇宙航空研究開発機構客員、福井県文化顧問、2018年国民体育大会(福井県)式典総合プロデューサーなど。日本文藝家協会会員。

山根一眞オフィシャルサイト
http://www.yamane-office.co.jp
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