第 9回 命の洗濯

 お正月は、おだやかでのんびりした風情がある。初詣、おせち料理、各地の祭り……。今年のお正月休み、みなさんも少しは「命の洗濯」をされたことだろう。
 さて、この「命の洗濯」という言葉は、江戸のことわざ辞典類にも早くから見え、古くからいっぱんに言われていたものであった。江戸末期の国語辞典『俚言集覧(りげんしゅうらん)』には、「久しぶりにて魚類美味を喰ひたる時にかくいふ」と注釈し、井原西鶴(さいかく)の浮世草子『好色一代男(こうしょくいちだいおとこ)』(天和2年〈1682〉刊)に出てくると記されている。
 『好色一代男』には、遊廓の高級遊女たちの着物や持ち物などを披露する菊の節句(9月9日)について、「これをみる事命のせんだく」とある。「せんだく」と濁音になっているのは現在でも大阪以西では濁音で言われることと同様である。
 「命の洗濯」は、寿命がのびるほど存分に楽しみ保養することをいう。封建社会で身分制度が固定していた江戸時代では、男が「命の洗濯」をするとなると、どうしても遊廓で遊ぶことになってしまうようである。
 図版は、江戸吉原の遊女屋に登楼し、文字通り「命の洗濯」をしている場面である。「まるで銭湯で褌(ふんどし)を洗濯しているようだ」と、遊女屋の男が無駄口を言っているから、昔も銭湯で下着を洗う手合いもいたということであろう。洗濯盥(だらい)のなかには、小判がぎっしり詰まっている。この洗濯だけはカネがなければ、ほんとうの「命の洗濯」にならない。でも、あまり洗濯しすぎると、肉体的な限界を越えて「腎虚(じんきょ)」(房事過多による衰弱症)になりかねない。
 ところで、江戸時代の実際の洗濯では、洗濯盥のなかに灰を主成分にした洗剤を入れていた。当時は、灰はいろいろな方面で利用されていて、庶民生活の洗剤として欠かせず、染物屋では紺色(こんいろ)などの色をあざやかに出せるように灰が利用されていた。農業では酸性の土壌をアルカリ性にするために灰は必須の肥料でもあった。
 とくに江戸時代も半ばをすぎると、農業技術の向上にともない生産性が高まって、灰の肥料も不足がちになり、金を支払って買う「金肥(きんぴ)」となっていた。「金肥」については項をあらためて述べることにしよう。

金を湯水のように使って命を洗う遊廓の客。じつは、左上の花魁(おいらん)に振られて恥をすすいでいるのだという。山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙『御誂染長寿小紋(おんあつらえぞめちょうじゅこもん)』より。(東京都立中央図書館加賀文庫蔵)

『俚言集覧』…太田全斎(ぜんさい)編、村田了阿(りょうあ)補。寛政9年(1979)以降の成立。石川雅望(まさもち)の『雅言集覧(がげんしゅうらん)』に対するもので、俗言、方言、ことわざなどを集成したもの。

『好色一代男』…主人公の世之介(よのすけ)の7歳から60歳までの恋の遍歴一代記。

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