第112回 「べらぼうめ」と「べらんめえ」

夏目漱石の『吾輩は猫である』が、朝日新聞で復刻連載されている。つい先だっても、車屋の黒猫が「べらぼうめ」と言う場面があった。江戸っ子の漱石は、銭湯の客に「べらぼうにぬるい」と文句を言わせたり、『坊ちゃん』では、蒲団(ふとん)に入れられたバッタをイナゴと言われたとき、江戸っ子の坊ちゃんに「べらぼうめ」と啖呵(たんか)を切らせている。
「べらぼうめ」と聞いて、落語の「大工調(だいくしら)べ」を思い出す方は、相当な落語通だろう。家賃の一両二分(ぶ)八百文(もん)を滞らせ、大家(おおや)から大工の道具箱を質に取り上げられていた与太郎を呼びに来た棟梁(とうりょう)の持ちあわせは、八百文足りない一両二分しかない。だが、その一両二分を手に与太郎は、大家へ道具箱を返してもらいに行き、そこで口をきいたのが、八百文足りなくても「あたぼうだ」というセリフである。「あたぼう」とは「あたりめえだ、べらぼうめ」を縮めた言葉だという。
落語のマクラなどで紹介する語源説から引くと、世の中にあって、ただ飯を食べるだけで何の役に立たない者を「ごくつぶし」といい、「ごくつぶし」(穀潰し=穀物をツブして糊状にする)→ヘラ(篦)の棒でツブすから「へらぼう」→「ベラボウ」に変化したという説である。これに、「あいつめ」などの相手を卑(いや)しめて言う「め」が加わって、「ごくつぶし」のような人物などを罵倒(ばとう)する「べらぼうめ」になったという説でいいように思える。
これとは別に、1600年の半ば頃から上方で、見世物に出ていた者に、「べらぼう」と呼ばれる者がいたとは、井原西鶴(いはらさいかく)の浮世草子(うきよぞうし)『日本永代蔵(にほんえいたいぐら)』(元禄元年〈1688〉刊)に「形のをかしげなるを便乱坊と名付け」と見える。姿の異形な者を「べらぼう」と呼んで見世物に出していた。これが江戸へ広まったというのがもう一つの語源説でもある。
見世物に出るしか能がないような男を罵倒する語として、語源としてもよさそうであるものの、江戸初期の辞書『日葡辞書(にっぽじしょ)』にすでに、無駄飯(むだめし)食いのことを「ごくつぶし」と出ている。飯をペースト状に潰すためのヘラ(篦)棒が考えだされ存在していたろうから、ヘラ棒を語源としてよかろう。また、博打(ばくち)用語から出たという説もあるが疑問である。
その「べらぼうめ」が「べらンぼうめ」となり、やがて「ボウ」が抜けて「べらんめえ(い)」と変化したのが江戸~東京にかけての頃のことであったらしい。

十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『色外題空黄表紙(いろげだいうわきびょうし)』(享和3年〈1803〉刊)より。色男の仮面を付けて若い娘に迫った一九が、裸にされて笑いものにされているところ。右の男が「おしのつよいべらぼうだ」と言っている。

井原西鶴…1642~93。江戸前期の浮世草子作者・俳人。大坂の人。俳諧では矢数(やかず)俳諧を得意とした。庶民の生活を写実的に生き生きと描いた浮世草子の名作を多数書いた。『好色一代男』『好色五人女』などの好色ものや、経済小説とも言える『日本永代蔵』『世間胸算用(せけんむねさんよう)』などで知られる。

『日葡辞書』…慶長8年(1603)、イエズス会宣教師が編纂刊行した日本語の辞書。約3万2800語を収録。ポルトガル語のアルファベットで記されているため、当時の発音がわかる大変貴重な資料。

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