第116回 焼きがまわる

 日本もいよいよ高齢化社会を迎え、年配の人たちは時折、「俺も焼きがまわった」というような言い方をする。若い人には馴染(なじ)みの薄い言葉かも知れない。頭の働きや腕前などが往時の鋭さがなく衰えたことを形容する語である。「焼きが戻る」も同義だとするが、こちらはあまり一般的に使われずに廃(すた)ってしまったようである。
 江島其磧(えじまきせき)の浮世草子(うきよぞうし)『世間娘気質(せけんむすめかたぎ)』(享保2年〈1717〉序)に、「亭主手の物(得意なこと)と料理自慢の包丁の焼(やき)がむねへまはり、鰒汁(ふぐじる)の仕ぞこなひに客も其身(そのみ=本人)も大きにあてられ(死んでしまう)」とある。
 包丁のむね(刀のみね)を引用し、焼きが包丁のむねのほうへまわるといっている。この『世間娘気質』の譬(たと)えの場合、「焼き」(刀剣などを鍛えるために熱処理すること)が、本来あるべき包丁の刃の部分に回らず、むねのほうに回ったというのだから、得意としていた料理の腕前の包丁さばきが発揮されなかったという意味にとれる。ちょっと現代のニュアンスと違う感じがする。
 もともとは「焼きが○○○のところへまわる」という言い方であったもので、たとえば「焼きが足へまわる」といった具合に、とんでもないところの足が鍛えられて、肝心なところの腕が鍛えられずにおろそかになるという言い方だったのが、省略されて「焼きがまわる」という言い方になり、それが本来の力が発揮されない意味の否定的なニュアンスとなったものと考えられる。 
 「焼き」を使った似たような言葉で「焼きを入れる」(鍛えなおす)というのがある。『日葡(にっぽ)辞書』を見ると、「焼き上げる」というのは、刀がよく切れるようにすることの意味としている。
 焼きを入れるにしても、焼き上げるにしても、刀剣について「焼き」をするということは、刀剣の切れを鍛えることで肯定的な意味として元来使われていたものと知られる。その意味では、「焼きがまわる」とは、焼き入れに際して火が行き渡りすぎ、かえって刃物の切れ味がわるくなることからの譬えとする語源説は疑問である。
 山東京伝(さんとうきょうでん)の黄表紙(きびょうし)『奇事中洲話(きじもなかずわ)』(寛政元年〈1789〉刊)には、地獄が繁昌し(当時、江戸隅田川の中洲にできた土地が繁華街となり、「地獄」と称される私娼が人気を呼んでいた)、「地獄の主閻魔(えんま)大王、だんだん焼きが回り給ひければ、十王たち勧め奉りて、御隠居させ申し」(図版参照)と、閻魔大王が以前ほど権威も威厳も発揮できなくなったので、二代目の閻魔様が登場する。江戸時代も半ば1800年頃になると、こんにちと表現もニュアンスも、おなじになったとしてよかろう。

第116回図版

 

地獄の閻魔様の前にある「浄玻璃(じょうはり)の鏡」には、「地獄」と称される私娼のいる「中洲」の様子が描かれている。山東京伝作『奇事中洲話』(寛政元年〈1789〉刊)より。

江島其磧…1666~1735。江戸中期の浮世草子作者で、庶民の生活を活写した。作品に『傾城色三味線(けいせいいろじゃみせん)』『世間子息気質(せけんむすこかたぎ)』など。
『日葡辞書』…慶長8年(1603)刊行のイエズス会宣教師による日本語辞書。当時の日本語の発音がわかる貴重な資料。

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