第121回 野暮・通

 「あいつは野暮な奴だ」などということは、今でもしょっちゅう会話のなかで耳にする。

 「野暮」は言わずもがな、世情、人情の機微を理解できない人をさす言葉である。とくに男女間のことに配慮のきかないような人や、田舎くさく行動などが洗練されていない人もさす言葉で、不粋(ぶすい)ともいう。

 「野暮」はもちろんあて字で、黄表紙(きびょうし)に『野暮大臣南郭遊(やぼだいじんなんかくあそび)』(天明4年〈1784〉刊)という題名の作品があるくらいで、世に言う田沼意次の時代(1767~86)には江戸っ子たちは、「野暮と化物は箱根の先にしかいない」などと悪態をついていた。天明頃に「野暮」の字をあてるのが一般的になってきていたと考えてよかろう。

 「野暮」の語源説はいくつかある。田舎者の「野夫(やぶ)」が訛(なま)ったという説や、薮(薮は先が見渡せないところなので、相手のことや事態をよく見渡せないようなダメな奴の意味。病状を見通せない医者のことを藪医者というのと同じ)説である。いずれにせよ、「野暮」という語は遊里が発生源だったようである。黄表紙『通人いろはたんか』(天明3年刊)(図版参照)には、遊廓で野暮が騒ぎ出す場面がある。

 野暮の反対が「通」で、「あの人は、なかなか歌舞伎通だね」という風に現代でも言う。物事によく通暁(つうぎょう)していることや、そんな人を指して言う言葉である。この「通」も「野暮」と似て、花柳界などの事情や遊びにくわしかったり、そこで生活する人(遊女や芸者など)の人情をよく心得たことをいう言葉だった。とくにそんな人のことを指して「通人」とも言うし、「通り者」とも言った。

 「通人」と「通り者」では、「通り者」のほうが言葉の成立としては早く、江戸時代も初期頃の1650年代には使われ出していたようで、「通人」は明和期(1764~71)に生まれた語で、同時に「大通」という言葉も明和6、7年頃から流行しだし、田沼時代に盛んに使われた語のようだったが、20年ほどの生命で天明7年頃には廃(すた)りだした。

 「大通」を使った語に「十八大通」という語がある。札差(蔵宿)や日本橋小田原町あたりの魚問屋の旦那衆たちのことで、江戸の遊び人ベスト18、を言った語でもあるが、田沼時代の好景気というかバブル景気の終焉とともに「十八大通」という言葉も消えた。

 「大通」があれば「小通」があってもいいわけで、「小通」は「大通」に比較して、未熟な年若い者を指し、あまり遊びに金をかけない者(かけられない者)を指す言葉であった。

 「大通」は商売で財を成し金に糸目をつけず豪勢に遊ぶ大金持ちだとすると、「小通」はさしずめ、今日でいえばIT産業の若手の経営者などで、金儲けのために投資はするけれど、遊びに大胆な散財はしない、ちょっとした遊び人といったところであろうか。

 

第121回図版

 

遊女屋での「口説喧嘩(くぜつげんか)」の場面。たばこ盆を振り上げて怒る野暮な客を、遊女屋の人たちが止めに入っているところ。フンと言って逃げ出す遊女(左)『通人いろはたんか』(天明3年〈1783〉刊)より。

黄表紙…安永4年(1775)~文化3年(1806)まで刊行された絵入りの読み物。大人のマンガ・コミックといった内容で、表紙が黄色であったところからの呼称。
田沼意次…江戸中・後期の幕政家で相良藩の藩主。第9代将軍徳川家重と10代将軍家治の信任を得て小姓から大名、老中に立身、商業資本の活用による殖産興業政策と新田・鉱山開発、外国貿易を推進する積極財政政策をおこなうが、大奥や武士階級にも反発を招き蝦夷地開発などの計策の途中で失脚する。その政策推進時代を「田沼時代」という。

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