第35回 「景気」と「経済」
日本経済の失速とデフレからの脱却、景気回復に政府はアベノミクスで乗り切ろうとしているようだ。でも、実効のあがる経済政策の舵取りはなかなか難しいようである。アベノミクスの経済政策が正念場を迎えるのは、案外早いことになるかも知れない。 (お知らせ) |
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右の延喜帝は徳川家斉、左の菅秀才は松平定信に見立てて描かれている。「経済」にうとい将軍を皮肉った場面。(『鸚鵡返文武二道』寛政元年〈1789〉刊より) |
田沼意次…1719~1788。江戸中期の幕政家。明和4年(1767)に第10代将軍家治(いえはる)の側用人(そばようにん)、安永元年(1772)に老中となる。積極的な膨張経済政策をすすめ、江戸のバブル期ともいえる「田沼時代」を築いた。 徳川家斉…1773~1841。江戸幕府第11代将軍。一橋治済(はるさだ)の長男。天明7年(1787)将軍となり、田沼意次を排して松平定信を起用して「寛政の改革」を行った。 恋川春町…1744~1789。江戸中期の戯作者・狂歌師。駿河小島(おじま)藩士。本名は倉橋格。狂名は酒上不埒(さけのうえのふらち)。『金々先生栄花夢(きんきんせんせいえいがのゆめ)』によって黄表紙の作風をうちたてた。寛政の改革を風刺した『鸚鵡返文武二道』にかかわる召喚に出頭せず、その年に亡くなったことから、自殺説もとなえられている。 延喜帝…醍醐(だいご)天皇(885~930)のこと。平安前期の天皇。宇多天皇の第一皇子。藤原時平(ときひら)、菅原道真(みちざね)を左右大臣として天皇親政を行った。後世、延喜の治と呼ばれ、公家の理想時代とされる。 |
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