第59回 オリンピックとナンバ歩き

 冬季オリンピックでは、深夜のテレビ観戦で寝不足になった方も多いだろう。日本各地にもたらされた記録的な大雪とともに、忘れがたいオリンピックとなった。
 江戸時代、雪は豊年の貢物(みつぎもの)と喜びながら、しかし、雪の中で競技を楽しむ、すなわちスポーツに興ずるという考えはなかった。
 江戸時代後期、鈴木牧之(ぼくし)は『北越雪譜(ほくえつせっぷ)』(天保8年〈1837~41〉刊)で雪深い越後地方の風土を紹介し、東北地方を遊歴した菅江真澄(すがえますみ)も秋田から津軽(青森県)・南部(岩手県)にいたる紀行日記を残し、南部紀行では、人びとは海岸線に住まずに山肌にへばりつくようにして生活していると印象を述べている。3年前の東日本大震災に遭遇してみて、いかに江戸の先人たちは津波を恐れていたのか思い知らされた。そんな雪などの自然と格闘していた風土は、ウインタースポーツを生む余裕がなかったのだろう。
 江戸時代のスポーツといえば、いまは国技と呼ばれている相撲あたりだったろう。安永7年(1778)に深川八幡宮で晴天10日興行が始まり(『武江年表』等)、このときの相撲はスポーツというより、大男たちの力競べといった趣がつよかった。
 日本人は古来より、「ナンバ歩き」(右手と右足、左足と左手を一緒に出す動作の歩き方)や「ナンバ走り」(同様の走り方)をしていて、スポーツには不向きだったとされる。明治時代、外国の軍事訓練を取り入れたことから、現在の私たちのような(ナンバでない)歩き方・走り方になったという。
 農村では明治期まで人びとはナンバ歩きをしていたが、天明年間(1781~88)頃から、江戸の地ではナンバ歩きをしなくなっていたと武智鉄二(たけちてつじ)は言っている(『古代出雲帝国』)。だが、どうもそうではないようである。歌川広重(うたがわひろしげ)の浮世絵「東海道五十三次」にはナンバ歩きをしている人も描かれているから、江戸でもナンバ歩きの人を見かけたはずだ。
 さらに、十返舎一九(じっぺんしゃいっく)の『通俗大雑書(つうぞくおおざっしょ)』(文化7年〈1810〉刊)の大名行列の光景を見ても(図版参照)、徒侍(かちざむらい。行列の供の侍)の歩き方は、さまざまである。
 ナンバ歩きは、もともと日本人の得意な歩き方である。能狂言では、ナンバ歩きは基本的な動作であり、歌舞伎の舞台でも、見得を切ったり威張ったりして歩くときには、ナンバ歩きをする。古武術も同じである。気分が高揚したときや、重い荷を担ぎ急いで歩くときに、同じ側の手と足を同時に出して体全体のバランスをとるべく、ナンバ歩きを日本人がしていたのは確かであろう。江戸時代、とくに農村地帯では荷を担いで坂道を歩くことが多かったろうから、必然的にナンバ歩きをすることも多かっただろう。
 冬季オリンピックのノルディックスキーの競走やバイアスロン競技でも、ストックで体のバランスをとりながら早く坂道を登るときに、ナンバ歩きのように駆け込むシーンが見られた。先祖得意のナンバ歩きのDNA復活で、これらの競技で活躍してもらいたいものだ。 

大名行列で歩く侍たち。荷物などを持っているのでわかりにくくはあるが、侍たちはさまざまな歩き方をしている。2段目の左端の2人は、手と足の同じ方を一緒に出しているナンバ歩きである。おそらくほかの侍たちも、脇差を差して歩いているため、体を揺らさないナンバ風の歩き方ではなかったかと思われる。(『通俗大雑書』文化7年〈1810〉刊。歌川豊広画) 

鈴木牧之…1770~1842。江戸後期の随筆作者。越後(新潟県)塩沢の縮(ちぢみ)仲買商の主人。俳諧・書画に親しみ、戯作者(げさくしゃ)の山東京山(さんとうきょうざん)・曲亭馬琴(きょくていばきん)・十返舎一九などの協力のもとに、雪国の民俗・民話を随筆風に綴った地誌『北越雪譜』2編7冊(天保8~13年〈1837~42〉)を刊行した。

菅江真澄…1754~1829。江戸後期の国学者・紀行文作者。本名白井秀雄。三河国(愛知県)の人。約30年にわたり、信濃、越後、奥羽、蝦夷(えぞ。北海道)などを旅行して、各地の民俗・生活などを記録した。その紀行が「真澄遊覧記」。

武智鉄二…演出家・評論家・映画監督。大阪生まれ。京都帝国大学卒業後、古典芸能の研究・評論からはじめ、若手役者らをひきいて古典歌舞伎を演出し、「武智歌舞伎」として注目を集める。能形式の現代劇「夕鶴」などを上演。映画作品は「白日夢」「黒い雪」など。

歌川広重…安藤広重。1797~1858。江戸後期の浮世絵師。歌川豊広の門人。風景・花鳥画の名作を残す。代表作に「東海道五十三次」「名所江戸百景」など。

十返舎一九…1765~1831。江戸後期の戯作者。江戸の一大ベストセラーである滑稽本(こっけいぼん)『東海道中膝栗毛(ひざくりげ)』の作者。ほかに、洒落本(しゃれぼん)・黄表紙(きびょうし)・読本(よみほん)・咄本(はなしぼん)など、さまざまなジャンンルで多くの作品がある。『通俗大雑書』は合巻(ごうかん)作品。

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