第97回 お月様は放蕩息子

 中秋(ちゅうしゅう)の名月を眺めることを、江戸人たちは楽しみにしていた。
 金持ちも貧乏人も、名月は同じように見ることができ、秋の訪れを体感できる月見は年中行事でもあった。今年のように猛暑というか酷暑というか、夏が暑ければ暑いほど秋を実感できた。
 名月と言えば、俳人の小林一茶(いっさ)のこんな句を思い出す。

    名月をとつてくれろと泣く子哉(かな)   (おらが春)

 煌々(こうこう)と輝く中秋の名月が目に浮かぶ句である。別に「あの月をとつてくれろと泣く子哉」(七番日記)という句形でも詠(よ)まれている。
 名月を愛(め)でながら、そこにさまざまな思いを重ねてしみじみと眺めるのは今も昔も同じであろう。
江戸時代、そのお月様が「放蕩息子(どらむすこ)」になったという黄表紙(きびょうし)がある。山東京伝(さんとうきょうでん)の『天慶和句文(てんけいわくもん)』(天明4年〈1784〉刊)という作品である。
 中天に冴(さ)えわたるお月様が放蕩息子で、世界を明るく照らすお天道様(てんとうさま。太陽)が父親だと見立てている。お天道様は、時折、「日食」という持病で悩まされている。
 風流を好むお月様は、村雲(むらくも)の悪巧みだとも知らずに、けしかけられて「月の都」(吉原にたとえる)などで遊びほうける(図版参照)。こうして、お月様が夜な夜な「月の都」に遊びに行ってしまうから、下界では闇夜が続いてしまうことになる。
 廓通いで金に詰まるが世の習いということで、お月様は高利貸しの雷から借金をかさねる。月末に借金の払いをしなければならず、ゴロゴロと雷に怒鳴り込まれる始末で、お月様は月末が嫌いになり姿を隠してしまう(太陰暦では月末に月が見えない)。
 そんな様子を兎(うさぎ)がお天道様のところへ駆け込み訴えると、病気が回復したお天道様は村雲を追放し、お月様の心根を矯(た)め直す。そして元のお月様に戻ると、兎は喜び、「十五夜お月様見て跳ねる」という結末となる。
 この『天慶和句文』は、天文学書『天経或問(てんけいわくもん)』(西川忠次郎訳、享保15〈1730〉年刊)をもじって書名にしているが、当時、江戸には一大天文学ブームが起こっていた。
 天明2年(1782)に、幕府により牛込(うしごめ)藁店(わらだな)にあった司天台(してんだい。天文台のこと)が浅草へ移されたことは、江戸っ子たちの大きな話題となっていた。幕府は、本格的に西洋天文学の研究に着手し、大坂の麻田剛立(ごうりゅう)、高橋至時(よしとき)、間重富(はざましげとみ)などの協力を得て、天体の動きに合わせた暦(こよみ)の作成を考えていた。安永末年から天明初年にかけては、天候不順、大地震、浅間山噴火といった異常気象や、日食・月食もあり、幕府は天文学に本腰を入れて研究しようとしていたのである。
 『天慶和句文』の書かれた前年、天明2年の8月15日には満月の月食があり、天明6年(1786)正月元旦の正午には皆既日食があった。天明7年には、『世之中諸事天文(よのなかしょじてんもん)』(物蒙堂礼作・京伝画)という黄表紙も出ているように、世の中は天文の話題であふれていたのである。
 しかしまだ、天動説が庶民のあいだでは当たり前の時代であって、月では兎が餅を搗(つ)いているというロマンが語られていた。

(お知らせ)
本コラムの執筆者・棚橋正博先生が出演されるNHKカルチャーラジオ『弥次さん喜多さんの見た東海道』が10月1日(木)から始まります。全13回。NHKラジオ第2放送、毎週木曜日午後8:30~9:00。再放送は金曜日午前10:00~10:30です。
 

「月の都」で花魁(おいらん)と遊ぶお月様たち一行。左の絵では、背に大きな丸が描かれているのがお月様で、その隣に花魁が寄り添う。前には女芸者ふたり。右の絵では、男芸者の雀が三味線を弾き、太鼓持ちの村雲が烏(からす)にひそひそ話をしている。山東京伝『天慶和句文』(天明4年〈1784〉刊)より。

小林一茶…1763~1827。江戸後期の俳人。信濃の人。14歳で江戸に出て俳諧を学び、全国各地で俳諧行脚の生活を送り、のちに故郷に戻る。生家の骨肉の争いの遺産相続問題が解決した年に、数え年52できく(28歳)と結婚。「名月」はその前年に読まれた句で、自身の境遇を重ねている。

黄表紙…江戸後期の草双紙(くさぞうし)のひとつ。安永4年(1775)から文化3年(1806)まで刊行された、滑稽・風刺をおりまぜた大人向けの小説。

山東京伝…1761~1816。江戸後期の戯作者・浮世絵師。黄表紙・洒落本(しゃれぼん)の第一人者。

麻田剛立…1734~99。江戸中期の天文学者・医者。豊後(ぶんご)杵築(きつき)の藩医であったが脱藩して大坂で天文・暦学を研究。麻田流天学をうちたてた。

高橋至時…1764~1804。江戸後期の天文学者。大坂の人。寛政の改暦時、幕府の天文方となり、寛政暦を完成させた。伊能忠敬(いのうただたか)の天文学の師でもある。

間重富…1756~1816。江戸後期の天文暦学者。大坂の人。麻田剛立に天文暦学を学び、寛政暦を高橋至時とともに完成。

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