第 2回「浅い」と「深い」

第 2回「浅い」と「深い」

 春の季節を歌った歌というのもたくさんありますが、春のはじめ、初春を歌った日本の歌曲に『早春賦』(吉丸一昌作詞、中田章作曲)がありますね。
 国語学者、故金田一春彦先生の著書の中にも、「春は名のみの風の寒さや」で始まるこの『早春賦(そうしゅんふ)』の歌詞は、春のはじめの微妙な季節感をうまくとらえている表現とあります。
 春とは名ばかりで、肌にあたる風もまだ冷たく寒く感じるというような、春のはじめのころの感じを歌っているのでしょう。
 このように季節の初めごろと、その盛りや終わりごろを表す言葉もさまざまですが、よく使われる表現に「春浅し」や「秋深し」といった「浅い」「深い」の付く言葉があり、俳句の季語としてもよく用いられるようです。

■春の例
病牀の匂い袋や浅き春             正岡子規
玉籬(たまがき)や玉のすだれの春深き     小林一茶

■冬の例
冬浅き月にむかひて立ちし影          久保田万太郎
冬深き井戸のけむりよ朝まだき         室生犀星

 春、冬以外にも、季語にはほかに「夏浅し」「夏深し」「秋浅し」「秋深し」もあります。
 しかし、私たちが日常手紙の書き出しに用いる時候の挨拶言葉はどうかと考えますと、「春まだ浅く、吹く風も冷たく感じられる毎日です」や「すだく虫の音にも秋の深まりを感じます」などのように、「浅い」に関しては「春」に、「深い」に関しては「秋」に使うことがほとんどではないでしょうか。
 季語にはあり俳句では用いられても、手紙の時候の挨拶では見かけないというのも興味深いですね。
 そのように考えますと、この「浅春の候」「深秋のみぎり」などの「浅い」「深い」のほかにも、その季節の初めのころを指す「初」は、初春、初夏、初秋、初冬と、春夏秋冬すべてに用いられ、季節の終わりごろを指す「晩」も、晩春、晩夏、晩秋、晩冬と同じくすべての季節に使います。しかし、「お見舞い」に関してはどうかと言いますと、夏は「残暑見舞い」と、冬は「余寒見舞い」というように、「晩夏」「晩冬」に代えて「残暑」「余寒」を使うのも、また季節感をよく表していて、おもしろいものですね。

第 2回「浅い」と「深い」




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