第21回「おうわさは伺っております」

第21回「おうわさは伺っております」

 春は初対面の人と会う機会が多い季節ですね。初対面であっても、どこかでその人のうわさは聞いて知っているというような場合に、次のような表現が使われることがあります。
 A「鈴木先生のおうわさは、よく伺っております」
 B「鈴木先生のおうわさは、父からよく伺っております」

 このAとBを比べてみた場合、どうでしょう?どちらも似た表現ではあるものの、Bは何だか気になります。これはなぜかと考えますと、「父から伺って」の部分が引っかかるのだろうと思います。
 「伺う」というのは、「聞く」「尋ねる」「訪問する」の謙譲語ですが、「聞く」意の「伺う」には次の2つの用法があります。
 ①話者を敬って言う。
  例「先生からお話を伺う」「先生のお話を伺う」
 ②自分が話をしている相手を敬って言う。
  例「(先生の)おうわさはかねがね伺っております」
   「ご子息のおうわさは伺っております」

 ①は、話の話者(この場合は「先生」)を立てる表現なので、「母から話を伺う」や「友だちのうわさを伺う」「テレビのニュースを伺う」のように、話者を立てる必要がない場合に用いることはできません。一方、②は、「うわさ」の話者がだれであるかには関係なく、自分が対話をしている相手を立てて使う謙譲語で、相手に関する事柄(「うわさ」)や身内(「ご子息」)についても高めて表現します。
 以上の2つの用法を確認した上で、先の「鈴木先生」の例文AとBを見直してみましょう。Aの「鈴木先生のおうわさは、よく伺っております」は、②の用法として正しい使い方ですが、Bの「鈴木先生のおうわさは、父からよく伺っております」はどうでしょうか。言った本人は、②の用法として、会話の相手を立てて使ったつもりでしょうが、「父から」という言葉を入れたために、①の用法として、自分の「父」に対しても謙譲語を使ったことになってしまっています。
 このような場合は、Aの「鈴木先生のおうわさは、よく伺っております」のように、聞いた相手を明確にせずに表現すれば、話者ではなく、「鈴木先生」だけを高める言い方に変わります。また、もしだれから聞いたかを明確にしたい場合は、「鈴木先生のことは、かねがね父がおうわさいたしておりました」「日頃から、鈴木先生のおうわさは父から聞いて存じ上げております」などの言い方もできるでしょう。ただ、後者の「鈴木先生のおうわさは父から聞いて存じ上げております」という表現は、言い方としては正しいのですが、「鈴木先生のおうわさ」と「聞いて」の敬語のバランスがよくないせいか、やや落ち着かない感じを受けます。その点からも、このような場合は、できれば話者を省いたほうが自然な表現であると言えるでしょう。
 このように、日本語は、「自分」と「話をする相手」の他に第三者が関わってくると、敬語の使い方が複雑になり、誤って使われる場合があります。話をする際には、今話題にしている人物はだれなのか、一番に敬意を表す人物はだれなのかをよく考えて、適切な言葉を用いるよう注意したいものですね。

第21回「おうわさは伺っております」




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