第38回 「省略しても良いもの、悪いもの」

第38回 「省略しても良いもの、悪いもの」

 猛暑もようやく去り秋の訪れが待たれるころですが、この暑さに負けないように、食事にも気を配ったという方も多いことでしょう。夏負けを防ぐために鰻をというのは今では広く知られていますが、鰻を食べる習慣は古くはさかのぼること、『万葉集』の大伴家持の歌にもその例が見られます。

 石麻呂にわれもの申す夏やせによしといふ物そ鰻取りめせ

 このころからすでに鰻は、夏負けしない栄養ある食物として知られていたことがうかがえます。近年、ニホンウナギの稚魚(シラスウナギ)が極度の不漁に陥ったために現在鰻は非常に貴重なものとなってしまいましたが、それでもやはり夏は鰻という方もあるでしょう。先日もデパートのレストランで鰻を注文している人を目にしました。
 さて、話は変わりますが、このようにレストランなどで注文をする際に、みな次のような言い方をすることが多いのではないでしょうか。

「私、天ざる」「おれは鰻」「私も鰻」

 しかし、よく考えてみますと、注文しているのは人間ですから天ざるや鰻などではありません。そう考えるとおかしな表現のように感じますが、国語学者、故・金田一春彦先生の話には次のようにあります。
「『おれはウナギだ』よく食堂などで聞く言葉であるが、その人自身は人間であってウナギではない。「おれはウナギを食べる」 これを少しでも短くしようとして生まれた表現だ。…中略…いつか幡ヶ谷の方に用事があるので「幡ヶ谷行き」の乗り場の列の最後についていたら、一人の男がやってきて、「ここは幡ヶ谷ですか」と聞く。「そうです」と答えたところ、私のすぐ前にいた男が不思議そうな顔をしながら振りかえり、「ここは渋谷ではありませんか」とたずねた。「幡ヶ谷行きの乗り場」―このくらいのものは、ただ「幡ヶ谷」と略してしまうのである」(『日本人の言語表現』講談社現代新書 金田一春彦著より)。

 鰻に限らず、いくつかのうちそのどれかを述べるような場面で、私たちはこの省略表現を使っています。「私、青」「私は緑」。「私は電車」「私は車」。いずれも、「私は青にする」「私は緑にしようかな」「私は電車で来た」「私は今日は車を運転して来た」などの言葉や感情が省略されているわけですね。
 言葉を省略する例としては、このほかにも語そのものを短く省略する「省略語・略語」があります。略語は、同じ現場で作業をする者同士であれば、伝えやすい、時間を短縮できるなどの効果もあります。しかし、どんな場面でも使えるかというと、そうとばかりは言えないものです。パソコン(PC)、CDなど一般的によく使われ知られている言葉ならば別ですが、同じ省略表現でも次のような場面では、省略せずに話すほうが好ましいものです。

[お客様や目上の人に道順を説明する場合]
「次の信号のところに、百均スタバがあるのですが、そのスタバ
隣りが弊社のビルです」

[お客様や目上の人と話す場合]
「昨日、ケンタの前に車を停めて買い物をしたほんの
4~5分の間に、駐禁をきられてしまいました」
「ひとくちに○○と言っても、ピンキリですよね」

 これらは友達同士の会話ならば問題ないでしょうが、お客様や目上の人との会話や改まった場面での会話では、ぞんざいな印象を与えてしまうこともあります。ときに便利な省略表現ですが、濫用は控えて場面に合わせてうまく使い分けたいものですね。
 

第38回 「省略しても良いもの、悪いもの」




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