第16回 疲労感を表す方言で出身地がわかる!?

第16回 疲労感を表す方言で出身地がわかる!?

 大人数での待ち合わせは約束の時間に全員揃うことが難しいものである。知人たちと待ち合わせしていたある日のこと、約束の時刻を少し回った頃に、知人の後輩が二人、ものすごい勢いで走ってきた。到着するなり一人が「あーこわい、こわい!」。「別に怒ってないよ」と平然としていた知人も、もう一人の「いやーせこー」のひと言に、「誰がケチ臭いねん」と思わずエセ関西弁でツッコミを入れていた。脇では別の知人が「そりゃせづねーのー」と息を切らす二人をねぎらっている。「せつない」などと胸のうちを吐露されてもと困惑する二人。傍から見るとなんとも珍妙なやり取りである。彼らは全力で走って息が「苦しい」状態を、思わず方言で口走っていたのである。「身体的に苦しい状態」を意味するコワイ、セツナイは、東北地方や、中国・九州地方の一部で使われていて、いわゆる「周圏分布」をなしているのだ。疲れて苦しいときにセコイと言えば四国の出身に間違いない。徳島が主な使用地域だが隣接県にも広がっている。

 ところで、室町時代に編纂された日本語とポルトガル語の対訳辞書『日葡辞書』には「大儀だ、骨が折れる」の意味で「こわい」が採録されている。ここから「体力的に苦しい状態」→「疲れた」へと意味が広がり、方言に残っているようだ。

 実は「せつない」も江戸時代には精神的な苦しさのほかに「呼吸が苦しい。からだが苦しい」という身体的な苦しさを表現していたようだ。江戸時代に編集された、江戸語と山形の庄内弁を対照した方言集『庄内浜荻』には、「せつないヲこわゐ」や「庄内にてこわい仕事じゃ、こわい役じゃなどと、せつなく大儀なる用とす。」との記述が。なんと!まさに「せつない」が共通語と思われているではないか。思わぬ今回の一枚:クリックすると大きくなります発見があるものだ。

 鹿児島、宮崎を中心とした南九州もまた紛らわしい。「今日はだれた~」と言っても緊張感が緩んだわけではない。南九州では「疲れる」ことをダレルと言うのだ。ちなみに、「晩酌」のことは「だれやめ」。つまり、この語源、「だれ」=「疲れ」を「やめ」=「止め」ということになる。「だいやめ」、「だいやみ」という変化形も多いようだが、とにかく一日の疲れを癒すために焼酎を飲むわけだ。なんとも言い訳がましいが、酒浸りの毎日が、元気回復の源となれば辛党には願ってもないことである。「だれやめセット」と称してさつま揚げの通信販売を行なっているネットショップも活気があるようだ。

 関西のエライや九州のキツイ、キツカは全国的にも知名度が高いが、疲労感を表す多くの方言が共通語と語形が同じだからコミュニケーションもややこしくなる。

第16回 疲労感を表す方言で出身地がわかる!?




    


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