第二回 「一筋縄でいってみる」

第二回 「一筋縄でいってみる」

 一筋縄、という日本語がある。
 おもに「一筋縄ではいかない」のように使われ、園芸品店で「一筋縄、特価198円」などという使われ方をすることは、まずないように思われる。
 こうなってほしいと希望する案件があるが、そう簡単にはいかないだろう、むずかしいだろう、というような意味であり、「あのおやじは一筋縄じゃいかねぇから」というように、人に対しても使われる。
 自分はどうだろう。
 数分考えてみたが、どうも「一筋縄でいく」人間であるように思えてならない。描くマンガは、素直に笑えない、ひねくれねじくれた、それこそ一筋縄ではいかない印象があるのかもしれないが(自分ではよくわかりませんが)、人間は単純にできている。
 例えば友人が私に「明日こいつにラーメンを食わせよう」と画策したとして、それはかなりの確率で成功する。
 ブログでも掲示板でもmixiでもなんでもいい。私が頻繁にチェックしているサイトで、きのうラーメン食った、うまかった、と日記を書いて画像を貼ればよい。それを読んだ私は、ほぼ確実にその日ラーメンを食べるだろう。食べる自信がある。実に一筋縄でいく。

 自分が「一筋縄ではいかない人間」ではないことに若干の悔しさがあるのは、そういう人には、こずるい、それなりの頭のよさがあるように感じるからだ。経済にくわしかったり、権謀術数にたけていたりするような印象がある。
今回の一枚(クリックすると大きく表示します) 皮肉な笑みを口元に浮かべ、いつも一般大衆を見下しているような、友達になりたくない感じ。それが一筋縄じゃいかない人物像のような気がするのだが、考えすぎだろうか。
 考えすぎて熱くなった、出来のあまりよくない頭を冷やすため、一筋縄はいくらぐらいするのか、ホームセンターに確認しに行くことにした。
 前述したとおり、ガーデニング・園芸コーナーにあるのではないか、という目算があった。台所用品売り場に「新巻鮭つるし用」などと売られていることはまずあるまい、と思う。
 土木建築関係コーナーにもありそうだったので、まずはそっちをチェックした。
 ロープは売っていた。強くて便利そうな、化学繊維のロープだ。かつて様々な仕事に使われていた天然素材の荒縄の後継者として、これらの製品があるのだろうけど、今のこれはロープであって、縄ではない。
 やはり園芸コーナーだろう。涼しい店内を出て、蒸し暑く、なにやら蚊の気配もする園芸コーナーに向かう。
 さっそく目に入ったのはシュロ縄である。
 細めで黒褐色をしており、タワシっぽいごわごわ感がある。丈夫そうだし、たしかに竹の垣根かなんかをしばっていそうな、立派な縄だ。だが、私の中にある「一筋縄」のイメージとはどうもちがう。
 いぐさ縄というのもあった。
 畳に使われるイグサであり、シュロよりは縄感がある。シュロに南国のイメージがあるとすれば、和のイメージがどっと増え、好感度は高まった。だが、やはり細い。繊細すぎる。
 私が探している一筋縄は、やはり稲わらで綯(な)われた荒縄なのだ。いなわらでなわれたあらなわ、早口言葉のようだが。
 少年時代に稲刈り後の田んぼで遊び、毎日のようにかいでいたわらの匂いを、無意識に探し求めていたのである。
 秋になったばかりの今の季節にはないのだろうか。冬になれば、雪よけ用などで出回りそうだけど・・・・・ などと落胆していたら、あった。ビニール袋に入っていたので、それと気づかなかったのである。
 「庭の友」という商品名で、稲わら製の一筋縄は売られていた。
 さっそく値段を見てみる。
 60メートル954円。高いんだか安いんだかわからない。
 いぐさ縄が18メートル207円であり、えーと、1メートル11.5円。庭の友が1メートル15.9円。
 畳に対して、食べ物であるコメが面目を保った、というところだろうか。
 それにしても「庭の友」という日本語の、なんという良さでしょう。
 サッカー少年にとって「ボールは友達」であるのと同じく、園芸好きの人たちにとって「縄は友達」なのだろう。
 別の趣味や仕事で「縄は友達」な人々もいるわけだが、そちらの業界では麻縄、亜麻縄、シルク縄などが主流であるとも聞き、稲わらは相当ちくちくするだろうからなあ、と思うのである。よく知らんが。
 話はそれたが、「の」が間に入る日本語の商品名には、心がおちつく何かがあるような気がしてならない。開明墨汁の「墨の華」、ハンドクリーム「ももの花」、「味の素」、「柿の種」、銘酒、銘菓にもたくさんありますね。
 まったくポピュラーではないが、この「庭の友」は、その中でもかなり上位に入るのではあるまいか。
 私は庭いじりの趣味はまったくないが、もし将来いじる日が来るとして、やはり化繊の縄(そういうのも売ってました)などではなく、庭の友を使いたい。いぐさもいいが、いぐさには、部活をさぼったりすると意見されるような、友としてありがたいのだがお固い感じが感じられる。
 コメという日常的な大事なものに直結しているからこその、この「友」感。不要になれば有害物質を出さずに灰になり、あるいは土に還る。
 米とわら、なんというありがたい、一筋縄でいく素材だろうか。一生ついていきます、と思うのだった。



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