第十回 「響け熊鈴、そしてハナかむ音」

第十回 「響け熊鈴、そしてハナかむ音」

 今回はクマについて考えてみることにしよう。
 なぜいきなり、クマについて?
 それは5月の大型連休中に帰省をし、クマの生息地に近い場所で行楽をしたからである。
 3日~5日という「行き、帰りの混雑のピーク」に協力するかのごときスケジュールで、父親の喜寿の祝いということで岩手県中西部、西和賀町の温泉宿に泊まりに行ったのだ。
 秋田県に近い湯田町と沢内村が合併した新しい町であるが、その沢内村が、かつて中学教師だった父の初任地であった。
 私にとっては初めての土地である。
 豪雪地帯であり、日陰には、5月上旬の陽気の中でもまだとけ残っている、除雪でよせられた雪の小山があった。
 きびしくつらい冬をたくましく生き抜いてきた土地。
 1963年には「日本初の乳児死亡率ゼロ」を達成するという偉業を成し遂げた村でもある。
 そして、そういう土地だから、普通にかつて「マタギ」と呼ばれた職業の人々も暮らしているのだった

 クマの語源はなんでしょうね。
 私のマンガのキャラにも「くま」というクマがいるが、語源など考えたこともなかった。
 今回の一枚(クリックすると大きく表示します)ざっと調べてみたところでは、歌舞伎のくまどりや、目の下の隈と発音が同じであるところから、やはり「黒い」という意味なのであろうと思われた。
 山に棲む黒いヤツ、というわけだ。
 「クモ」との発音の類似の指摘もあり、おもしろい。なにやら恐ろしいもの、ということだろうか。
 そんな黒いおっかないクマを、イノシシなどを食べさせる獣肉屋で、かつて一度食べたことがある。味は覚えていないが、下処理がいいのか臭みはそんなになかったように思う。
 父の感想はちがっていた。
 下宿先のおやじが「鉄砲うち」であり、冬には煮こんだ肉を食わせてもらったそうだが、固く、土くさいというか草くさいというか、うまいものではなかったという。囲炉裏のそばでクマの毛皮を敷きものにしたりもしたらしい。
 ちなみに、タヌキもまたどうにもくさくて閉口したが、ウサギは普通にうまかったようだ。
 家庭訪問先で「あるじは山の炭焼き小屋にいる」といわれて、行ってみたらマムシを漬けこんだ焼酎をふるまわれたり、親に歴史ありである。
 こんな昔話の数々から、なんだか生きていく力をもらえるようだ。
 宿にチェックインし、温泉に入るにはまだ早い感じなので、周辺の遊歩道を散歩することにした。
 集落からははずれた高原ではあるが、山の真っただ
中というわけではない。
 それでも、そこかしこに「クマ注意」の看板が。
 さまざまの山野草が新芽を吹き、花を咲かせている道であり、そういうものが好きな母親ははしゃいでいる。私のほうはといえば、笹の藪の向こうに、動くものの気配を探ろうとせずにはいられない。
 やがて、木に何かが結びつけられているのが目に入った。文字が書いてある。
「熊鈴」
 ああ、そうとう普通に「出る」のだな・・・・・と思い、暗い気持ちになった。
 冒険者の構成は私、両親、中一の娘、女性マンガ家(伊藤先生)であり、どう考えても、クマが出た時に立ち向かわなければならないのは私だった。
 手持ちの武器は、えーと、ストラップがついたデジカメ、これを振り回して当たれば、クマとはいえ痛いだろう。
 あと鼻毛切りバサミ。
 鼻毛を切ってクマがうっとりしているすきに、みんなを逃がす。
 ・・・・・ムリだ。
 先月であればポケットにナイフが入っていたのに。もしクマ被害にあったら警察のせいだ! と歯がみする。
 30分ほどで、ピリピリする緊張感につつまれた(おれだけか?)散策は無事終了。クマが出ればネタ的においしかったのだが、ありがたいことに出なかった。
 間をあけて設置されていた熊鈴のおかげか、いつもより意識して「大きい音で」ハナをかんだおかげであったか。
 あとで地元の人に、クマとばったり会った時のことを聞く機会を得た。
 基本的には音を出して歩き、あっちが気づいて逃げるようにしろ。でも近づきすぎていたら急には逃げずに(追う習性がある)ゆっくりあとずさって距離をとれ。一番気をつけるべきは仔連れの母グマ。
 そういう「山の常識」はなんとなく知っていたが、ビビったのは、実際の被害についてである。
「クマは、腕であれば腕を、ガッ、ガッ、ガッとたてつづけに噛みます。あごの力が強いですから、噛まれたところはボキボキ折れてひどいことになる。あと雑菌のため、噛み傷はぱんぱんに腫れあがり、熱を持ちます。爪でひっかかれたところも同じですね」
 ・・・・・。
 なんとなく
「ヒグマにくらべればツキノワグマは小さいから、デジカメや小さいナイフでもなんとかなるのではないか」
 と、のんきに考えていた自分を笑うしかない。
 クマ、怖えぇー!
 古いマタギの道具を集めた資料館には「弓矢は用いられなかった」とある。
 頑丈で通用しないからであり、火縄銃が出回ってようやく狩りに飛び道具が導入されたという。それ以前は槍などの長柄の道具を使っていたということだが、一人二人では不可能な、危険な仕事であったろう。
 資料館には「月の輪がない、全身真っ黒なクマはの使いであり、まちがって殺した者は廃業しなければならない」などという記述があり、そういえば「クマ」と「カミ」、どちらもカ行とマ行の二文字だなあ、とおそれ多い気持ちになった。
 デジカメで頭を殴ろうとしたことを心からあやまりたい。

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