第二十八回 「酒とガンマと男とGTP」

第二十八回 「酒とガンマと男とGTP」

 成人してから20数年間、酒を飲み続けてきた。
 酒がもたらす酩酊状態が好きであり、それによって「自分という人間の固さ」のようなものがほどけるのが好きだ。
 友人ともよく飲んだが、一人で自室で飲む酒も愛好した。本が友であり、テレビ番組やレンタルビデオがつまみだった。ファミコンも酒をなめながらすることが多かった。
 外で仕事をしているわけではないので、外飲みの頻度は勤め人の飲んべえより低いと思う。それでも何軒かいきつけの飲み屋ができ、同級生や仕事関係以外の飲み友だちも増えた。
 短いページで仕事をしているので、区切りがつきやすく、毎晩が一仕事終えたあとのうちあげのような状態だった。
 休肝日を週に二日、いや三日とるのが望ましい、とはよくいわれることだが、月に三日とれればいいほうだった。酒量にしたって、そんな大酒飲みでこそないものの、いわゆる「百薬の長」になる適量の数倍は飲む。
 こういう人間を「常用飲酒者」と呼ぶようだ。アルコール依存症、といいきってしまってもいいのかもしれないが、本人としてはその手前で踏みとどまっているつもりだ。「プチ・アルコール依存症」などと定義している本も最近読んだ。

 大人で「酒、タバコ、カフェイン、砂糖、」のどれにも依存していない人は少ないといわれる。疲れる人生、何かにたよらないとやっていけないということかもしれない。
 たとえばスポーツをする、観るなどの趣味も加えて依存を分散させるのがかしこい方法なのだと思うが、私はそれがあまりうまくないようだ。
 タバコはずいぶん前にやめたし、甘いものもカフェイン飲料もたしなむ程度でじゅうぶんだが、酒はやめられない。やめようと思ったこともない。
 酒好きであることを後悔する気持ちはぜんぜんないが、二日酔いの苦しさはきらいだし、もう少し酒量をコントロールできないか、とは常々思ってきた。やばいな、おれ、とも。
 そんなうしろめたさに対しての気持ちのよりどころは「日があるうちは飲まない」「肴をヘルシーなものにする」ということだったりするのだが、それでも夜になり仕事を切りあげていそいそと酒盃を傾けることが毎日のように続けば、健康状態は低下していく。
 30歳を過ぎて、γ-GTPが、正常値を越えた。
 酒飲みのみなさんご存知、アルコールの過剰摂取によって数値が上昇しやすい、肝臓の健康の目安となる数字である。正常値は0~50であり、それが80いくつになったのではなかったか。
 タンパク質分解酵素であるというガンマ-グルタミルトランスペプチダーゼ。健康であるならその存在などぜんぜん知らなくてもいい、体内の無数の「縁の下の力もち」の一つなのだろう。
 その数値があがった。
 ちょっと酒を休めばさがるので、ややさがったところで安心して再び以前の飲酒ペースに戻る、というのがその後のパターンとなった。
 その結果2007年には230。2008年には349を記録した。
 立派に病的な数字である。
今回の一枚(クリックすると大きく表示します) あきらかに連動しているのだと思うが、他の健診結果にもよくない数字が出始めている。さすがにこれではいけないと思い、自戒をこめて「肝三四九」と紙に書いて壁に貼った。
 しばらく酒を抜いて再検査。数値はさがり「このまましっかり節酒、減酒、できるなら禁酒を」と医者に言われて「はい!」と返事だけはおりこうさんだったったが、ズルズルとまた元どおり。
 いきつけの飲み屋が店をたたんでしまって盛り場への足が遠のいたり、妻の伊藤(飲んべえだが日常飲酒はせず、γ-GTPも正常)が妊娠したため、しつこく酒びんを倒しつづける夫婦飲みもなくなったりして、相対的に酒量はへった。
 が、二日酔いが少なくなったため、毎日酒がおいしくなり、ただでさえないに等しかった休肝日もへった。
 2009年、つまりこれを書いているひと月前の検査では、327の数字が出た。
 さがったさがった、と喜んでいいような前年差ではない。現在46歳にして、年が明ければ赤ん坊が生まれてくるのである。
 そいつが何歳になるまで、自分は生きていられるのか。
 そのことを、一杯やりながら真剣に考えた。
このような数字だもの、当然「脂肪肝」である。
 腹部エコー検査では、黒く映っていなければならない肝臓が白く見える。たっぷり脂肪をたくわえたフォアグラ状態だ。
 脂肪肝~組織の繊維化~肝硬変、という順に病状は進行していくといい、その白さがおぞましく、おそろしい。
 酒をへらそう。
 数値をさげるためにへらすのではなく、まだまだ生きていくためにへらそう。
 断酒しなければ遠からず死ぬ、というところまでアルコール依存症を進行させないためにも、へらそう。
 そう思った。
 完全にやめちゃおう、断酒しようという発想はどうしても出てこなかった。自覚しているつもりだが、その思考回路がすでにはっきりと病的である。
「とりあえず、週二日の休肝日をしっかりとってみろ」
 妻からはそういう提案をされた。以前から耳にタコができるほど聞かされてきた提案であるが、それが途方もない難事に思える。
 冷やおろしの日本酒をやりながら、考え抜いた。つまみは冷奴、セリの胡麻あえ、イクラと焼き海苔である。このすばらしい酒と肴の世界を、70、80歳まで楽しみたい。
 生まれてくる赤ん坊のことを考えた。はなれて暮らす中学生の娘のことを考えた。目の前で「産後のボディケア&エクササイズ」という本を真剣に読んでいる伊藤のことを考えた。自分のマンガのキャラクターのことまで考えた。
 その結果、「これから一生続けたい飲み方」として採択したのが、一日おき飲酒である。
 一日おき休酒、でもいい。どちらにしろ、一日抜けばまた飲んでいいのである。休肝日は週三日と四日が交互にくることになる。それで様子を見て、それでもだめだったら、もっとへらすことを考える。
 二日連続で飲むことがわかっていれば、その前二日を抜くか、あとの二日がお休み。大雑把ではあるが、そういうシステムにし、その生活に自分を慣らすことにした。
 自分は「軽依存症」といっていい進行具合だと思うので、まだかろうじて自制心は残っていたようだ。週二日といわれたときは困難に感じた休肝日が、一日おきにしたら割と楽にとれるようになった。ここでなんとか踏みとどまりたい。
 もちろん誘惑はある。寒い日、仕事を終えて家路につくときに熱燗が恋しくなることはある。ただ、初めての赤提灯やバーにふらりと一人で入って飲む、ということはあまりしてこなかったため、夜のネオンの(古いな)誘惑は少ない。ごはんを食べて満腹してしまえばその気持ちは散らせる。そういう「しらふの夜」に慣れようと思う。
 あと、節酒の大きな武器として早寝早起きがある。2、3杯飲んだところで眠くなればすばらしいわけだ。幸いにも漫画家としては珍しいのかもしれないが、徹夜は苦手であり、早起きの定着は比較的得意だ。
 これは、アルコールの問題を抱えるすべての人たちへの提案などという、偉そうなものではない。あくまでもこういうレベルの飲酒者である自分の「こころみ」として書いてみた。
 自分のためにも家族のためにも、断酒が絶対に必要な人がいることはいうまでもない。そこまでの状態に陥っていく可能性は私にもしっかりとあり、それは一生なくならないのだろう。
 この「一日おき休酒」も、まだ初めてひと月にもならないわけだ。来月あたり「毎日飲んでまーす。あはははは」などと書いていることも大いにありうる。
 と、背水の陣を敷きつつ、育休というか産前産後の伊藤のサポートのため、本連載はしばらくお休みをいただきます

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