第三十五回 「ああ、豆の持ちこみ」
なかなか迫力のある貼り紙を見た。
貼り紙には「禁止」を求めるものも多いが、この禁止は珍しい。
「豆持ちこみ厳禁!」
それほどまでに禁止される豆とは何か。豆が半径3メートル以内に近づくとアレルギーがおきる患者でもいるのか。
例えば警察に貼られていたら、市役所に貼られていたらと、あれこれ想像力を刺激される。
「豆持ちこみ厳禁!」(都庁)
「豆持ちこみ厳禁!」(理髪店)
「豆持ちこみ厳禁!」(市民プール)
「豆持ちこみ厳禁!」(出版社)
どの場所に貼られていても、それなりのシュールさをかもしだしそうな言霊がある。思わず自分のポケットやバッグをおさえて
「……もってなかったっけ?」
と、あせってしまうような、いきなりなきびしさがある。
こころみに、紙に書いて玄関の郵便受けの横に貼ってみた。貼る前からわかっていたが、郵便配達や宅配便の人が不安になるようなオーラが出ており、近所の人に見られる前にすばやくはがした。
そろそろ答えをいおう。
スーパーのコーヒー売り場に貼ってあったのだった。そう、コーヒーミルの上に、である。
お客様が当店でお買いあげになるコーヒー豆を、この機械でお好みに粉砕してくださいね、という店のサービスであるわけだが、その機械を使い、よそで買った豆を挽く客がいる、ということなのだろう。
なんと剛胆な、と私などは感じる。
野菜や魚や豆腐はスーパーで買うが、コーヒーは好きな専門店で買うという人もいるだろう。それはわかる。しかし、よそで買った豆を粉にして、それをふたたび自分のバッグに入れるというのは、見とがめられても「なにも悪いことしてませんけど?」とひらきなおることはできようけれども、相当の無神経さが必要なように思うのだった。
あるいは、家では豆で保存していて、淹れるたびに人数分の豆を挽きにくる近所の人、という人物像もうかぶ。コーヒーは挽きたてがうまいのは当然で、大のコーヒー好きなのだろう。ただ、ご本人が「生活の知恵」や「裏技」のように思っているかもしれないその行為は、やはりどちらかといえば非常識であり、かわいそうな人感がただよう。挽き立てのコーヒーより自分を大事にしろよ、と思うわけであった。
「なにが悪いんですか!?」
おそらくはそういう言葉が返ってくるだけなんだろうけど。