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第1回 わが若き日の調べもの

2015年3月2日(月)山根一眞

「北朝鮮スパイ」の暗号を受信していた

 私は高校時代に通信型受信機を使う短波受信に熱中していた。

 1960年代の半ば、もう50年も昔のことだが、それはアマチュア無線の世界に入るための準備でもあった。

 短波とは、AMラジオ放送よりも上、FMラジオよりかなり低い周波数(3MHzから30MHz帯)を使う通信であり放送だ。AMラジオ放送の電波もFMラジオの電波も遠くには届かないが、短波帯は地球をとりまく電離層と地上との反射を繰り返し伝わっていく特性があるため、地球の反対側にでも届く。

 もっとも遠い国からの弱い電波を受信するためには大きなアンテナが必要で、より高性能の通信型受信機があった方がよい。

1990年代前期に発売された世界最高級と謳われた通信型受信機。60万円近くしたがつい買ってしまった。CIAが採用したというだけあってネットなき時代に全世界の情報と書斎が直結した。

 インターネットなど影も形もなかった時代には、この短波の受信は、自分の家にいながら、リアルタイムで世界を知る最大の手段だった。

 後にアマチュア無線(ハム)の免許を取得してからは、地球の遥か彼方の国の人と電波による送受信も可能になった。

 携帯電話もスマホも、実は基本的には同じことをしている。いずれも無線送受信機だが、それを意識している人は少ないのでは?

 私は、憧れだったトリオ(現・ケンウッド)製の通信型受信機の名機「9R-59」の組立キットを小遣いを貯めて秋葉原電気街で買い、ハンダごてを手に必死に組み立て、庭に長い電線でアンテナを張り、夜ごと世界中の短波放送を聴くようになった。

 当時は、世界の各国が日本向けの日本語放送を行っていたが、それを聴くことで「世界の今」を知ることができたのだ。

 雑音まじりの中に、かすかに聞こえたり聞こえなかったりする放送を耳を研ぎ澄ませて必死に受信するのが大きな楽しみだった(勉強もろくにしないで)。

上はTRIO(現・ケンウッド)が1950年代後期に発売の通信型受信機9R-4J。アメリカ製を真似たモデルだったが、1961年発売の9R-59は斬新なデザインとあいまって人気モデルとなった。いずれも山根コレクション。(写真・山根一眞)

 

太平洋上で聴いた「オールナイトニッポン」

 太平洋上で操業中の漁船どうしの交信を傍受して、漁業の大変さを知ったこともある。

 24歳の時に私は取材のため海上自衛艦に同乗して南米のブラジルまで3ヶ月の航海をした。

1972年に海上自衛隊の南米遠洋航海で3ヶ月の同行取材をした山根(当時24歳)。

 その航海の途上で、夜になるとデッキに出て持参のトランジスタラジオとアンテナを使い、こっそりとラジオ放送を聴いていた。日本から離れるにしたがって「オールナイトニッポン」がどんどん聞こえにくくなり、まったく聞こえなくなったあと、代わって聞こえてきたのはハワイのラジオ放送だった。AMラジオは障害物がない海でも到達に限界があることを実感したのだが、それなら短波だと、自衛艦の無線室を時々訪ねるようになった。そこで、こっそりと受信機を使わせてもらっていたのだ。

 さすが自衛艦の無線設備だけあり、感度が高かった。カリブ海を航行中に受信したのは、東京の高円寺周辺で無線交信をしているアマチュア無線家の通信だった。短波は、電離層の状態次第で地球の反対側にも届くことには感銘した。

 こういう高感度の通信型受信機では、とんでもないものも聞こえていた。そのひとつが北朝鮮乱数暗号放送だった。

高校時代の山根と無線受信機トリオ9R-59(1964年)。

 高校時代の話に戻るが、受信機「9R-59」のダイアルを回していて、ある日、その電波を受信したのである。

 北朝鮮の海外向けのプロパガンダのラジオ放送の終了後、しばらくすると朝鮮語の数字(らしきものを)をひたすら話している声が聞こえてきたのだ。高校生でも明らかにそれが乱数表の「暗号」だとわかった。

 深夜の同じ時間、同じ周波数でそれが受信できることから、国外にいる北朝鮮のスパイに対して本国の諜報機関が定時指示を行っているに違いなかった。

 私が聴いているのと同じ時間に、この暗号を密かに聴いているスパイが、どこかにいるのだと思うとゾッとした。

 そしてある日、新聞を見て驚いた。

 日本国内で北朝鮮のスパイが逮捕され押収した本国からの暗号による指示を受信していた通信型受信機の写真が掲載されていたのだ。

 何とそれは、私が愛用していたのと同じ「9R-59」だった。私の通信能力は北朝鮮のスパイと同じだったのだ。

 だが、その後も暗号放送は変わりなく続いていたので、まだまだ数多くの北朝鮮のスパイが日本に潜んでいることは間違いないと確信していた。

 それから20年後、1980年代初頭のことだが、取材で東北の日本海岸の寒村を訪ねたところ、こういう証言を得た。

「若い男女のカップルなど何人かが突然行方不明になっている」

「海岸に北朝鮮のものと思われるゴムボートが漂着していたのを見た」

「変な荷物が草むらに隠してあった」

 ピンときた。国内に潜んでいるあの暗号受信者である北朝鮮のスパイの仕業に違いない、と。実際、公安警察(?)がやってきて情報を収集したり、注意を呼びかけるビラを置いていったという。

 

男女カップルが突然行方不明になった、北朝鮮工作員のゴムボートが隠してあった、などの証言を得たのは日本海沿いのここ、1980年代半ばのことだ。(GoogleEarth)

 北朝鮮による日本人の拉致被害が明確となり、国がこの問題に取り組み始めたのはそれからさらに20年も過ぎてからのことだったと思う。

 北朝鮮による日本国内でのスパイ活動や拉致事件の疑いの情報は、はるかに早くから得られていたのだから(高校生でもわかったのだから)、なぜ、もっと早く国が本腰を入れて解決の努力をしなかったのかと残念に思う。

しつっこく調べてこそ「発見」がある

 さらに20年後、私は、日本国内の某県警が北朝鮮の工作船を保管していることを知った。その工作船は嵐で遭難し海岸に漂着、工作員は溺死しているのが発見されたのだという。

 その北朝鮮の工作船を保存している建物を訪ね、見ることができたのだが、間違いなく北朝鮮の工作船であることを物語る遺留品を見て慄然とした。

「007」の映画で見たような魚雷型水中スクーターもあったが、無線機などの装備は何とも古い技術だった。後に、それら撮影してきた写真のひとつ、ある通信道具を徹底して調べたところ、購入した場所がいくつか推定できた。それらの店を手がかりにすれば、通信道具の調達役の人物が特定できるはずと確信した(警察はそういう捜査をしたのでは?)。

 この工作船を前にして、私なりにそこから多くの情報を得ることができたのは、高校時代に自分自身でオリジナルの暗号無線を受信、自分自身の足で工作員の痕跡がある現場を歩き証言を得ていたことがベースにあったからこそだった。

 これは、私の若き日の「調べもの」の一例だ。

 この「調べもの極意伝」では、北朝鮮のスパイの技を伝授することが目的ではないが(工作船については回を改めて詳述します)、どんな身近なことでも、深く、詳しく、しつっこく調べることで大きな発見が得られることを、具体的な体験や例をもとに知っていただければと願っています。<第1回了>

●次回は、3月16日に更新予定です。

第1回 わが若き日の調べもの
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著者プロフィール
山根 一眞(やまねかずま)
 ノンフィクション作家・獨協大学特任教授
 1947年、東京生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。20代からジャーナリズムの仕事を開始。先端科学技術や情報分野、アマゾン環境問題など広いテーマで「謎」を追い求めてきた。NHK総合テレビでキャスターを7年こなし、北九州博覧祭では「ものつくりメタルカラー館」の、愛・地球博では愛知県の総合プロデューサーをつとめた。2009年から母校で経済学部特任教授として環境学や宇宙・深海、生物多様性などをテーマに教鞭もとっている。3.11で壊滅した三陸漁村・大指の支援活動も続けている。主な著書に単行本と文庫本25冊を刊行した「Made in Japan」を担うエンジニアたちとの対談『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館)、『環業革命』(講談社)、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス、東映で映画化)、『小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦』(講談社)など多数。『日経ビジネスONLINE』では「ポスト3.11日本の力」「山根一眞のよろず反射鏡」を連載中、福島第一原発の廃炉技術も追い続けている。理化学研究所相談役、日本生態系協会理事、宇宙航空研究開発機構客員、福井県文化顧問、2018年国民体育大会(福井県)式典総合プロデューサーなど。日本文藝家協会会員。

山根一眞オフィシャルサイト
http://www.yamane-office.co.jp
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