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第2回 日比谷公園の「謎」
2015年3月16日(月)山根一眞

明治時代に実在した「東京ホテル」とは?

 「東京ホテル」とは帝国ホテル(創業時の名)のことだろうと思い、帝国ホテルの歴史を帝国ホテルのホームページで見たところ、どうもおかしい。帝国ホテルの創業は1890年(明治23年)だが、リサールは、「1888年、この地、東京ホテルに滞在す」と記してあったので、リサールの滞在時には帝国ホテルはまだ「なかった」のだ。
 となると、「東京ホテル」は、帝国ホテルではないことになる。
リサール像のはす向かいにそびえる建物が現在の帝国ホテル。写真・山根一眞
 
 この日比谷公園の界隈に、「東京ホテル」という名の、今はないホテルがあったのか?
 Googleで「東京ホテル」と検索しても、「東京ホテルじゃらん」だの「東京ホテル高級」、「東京ホテル朝食バイキング」だのと、どうでもいい情報しかヒットしなかった。だが、ここで諦めてはいけない。「日比谷 明治 "東京ホテル"」というキーワードで再度検索してみた。
 「”東京ホテル”」と「”」の引用符で囲ったのは、これがひとつの文字列であるとGoogle検索エンジンに教えるためだ。単に「東京ホテル」と検索すると、Googleはおせっかいにも「東京」「ホテル」と切り分けて検索してしまうからだ。
 その結果は……。
 出た!
 「東京編・写真の中の明治・大正 国立国会図書館所蔵写真帳から」というページの「麹町区の写真一覧」のリストに「東京ホテル」の5文字が記されていたのだ。それをクリックしたところ、「東京ホテル 掲載資料・東京景色写真版、刊行年・明26」の「東京ホテル」の建物の姿が現れた。調べものをしていて喜びを覚える瞬間だ。
検索でたった1件だけ見つかった「東京ホテル」の「所在」。出典:国立国会図書館のWEB。
「東京ホテル」の写真は1点のみだった。出典:国立国会図書館のWEB。
 それは、2階建(一部4階建)の瀟洒な洋館で、窓の数から推定するに部屋数はわずか14~15という小さなホテルだったことがわかった。これは、壮大なつくりの帝国ホテルとはまったく異なる。
在りし日の東京ホテルの写真。出典:国立国会図書館のWEB。
では、その「東京ホテル」はどこあったのか?
 住所表記(明治期)麹町区有楽町
 住所表記(現在) 千代田区有楽町
 との記載があり、「図面:東京市及接続郡部地籍地図」という当時の地図へのリンクがあり、クリックしたところ、古い地図が出てきた。その地図で、日比谷公園周囲に東京ホテルを探したが、ない。帝国ホテルは掲載されているのだが。
 この地図、よく見ると「刊行年:大正1」だった。つまり写真撮影の明治26年から19年後の地図なのである。ということは、「東京ホテル」は大正1年までの19年の間に取り壊された可能性がある。
1912年(大正1年)の東京市及接続郡部地籍地図には、東京ホテルの名はなかった。出典:国立国会図書館のWEB。
 そこで、日比谷公園の歴史を調べてみた。
 「日比谷公園の歴史 日比谷公園110周年記念」というページにはこう記されていた。
 ≪日比谷公園は、明治36年6月1日に東京の新名所として誕生してから、平成25年6月1日で開園110周年を迎えます。≫
 以上を整理すると以下になる。
 1888年(明治21年)リサールが「東京ホテル」に滞在
 1890年(明治23年)帝国ホテル開業
 1893年(明治26年)「東京ホテル」の写真
 1896年(明治29年)リサール銃殺刑で他界
 1903年(明治36年)日比谷公園開園
 1912年(大正元年)東京市及接続郡部地籍地図(「東京ホテル」の記載なし)
 あの瀟洒な「東京ホテル」は、1893年(明治26年)から1903年(明治36年)の10年間に、取り壊された可能性が高いことが明らかになった。
 もっとも国立国会図書館の文献検索でも明治26年の写真の他には東京ホテルの情報はなかったが、10年間に絞り込めたので、その10年間に刊行された地図を調べたり、新聞や出版物を丹念に調べたりすればリサールとおせいさんが過ごした愛の現場がより鮮明に出てくるはずだ。調べものは、こうしていかにして年月や場所を絞り込めるかにかかっている。
 それにしても「東京ホテル」の命運は、リサールの銃殺刑による死去と何か通じるものがある(という思い込みをしてしまった)。
 映画を作るなら、題名は「トーキョー・ホテル」 かな。
2015年3月13日、日比谷公園を再訪した。猫には注意を払っても、この像に足を止める人はいなかった。写真・山根一眞
 今回の「調べもの極意伝」は、身近なことに疑問を持つことで、深い、広い知識が得られる例として、日比谷公園のブロンズ像をとりあげたにすぎないが、いずれ図書館などで徹底的に「東京ホテル」を調べたいと思っています。<第2回了>
●次回は、4月6日に更新予定です。
第2回 日比谷公園の「謎」
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著者プロフィール
山根 一眞(やまねかずま)
 ノンフィクション作家・獨協大学特任教授
 1947年、東京生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。20代からジャーナリズムの仕事を開始。先端科学技術や情報分野、アマゾン環境問題など広いテーマで「謎」を追い求めてきた。NHK総合テレビでキャスターを7年こなし、北九州博覧祭では「ものつくりメタルカラー館」の、愛・地球博では愛知県の総合プロデューサーをつとめた。2009年から母校で経済学部特任教授として環境学や宇宙・深海、生物多様性などをテーマに教鞭もとっている。3.11で壊滅した三陸漁村・大指の支援活動も続けている。主な著書に単行本と文庫本25冊を刊行した「Made in Japan」を担うエンジニアたちとの対談『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館)、『環業革命』(講談社)、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス、東映で映画化)、『小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦』(講談社)など多数。『日経ビジネスONLINE』では「ポスト3.11日本の力」「山根一眞のよろず反射鏡」を連載中、福島第一原発の廃炉技術も追い続けている。理化学研究所相談役、日本生態系協会理事、宇宙航空研究開発機構客員、福井県文化顧問、2018年国民体育大会(福井県)式典総合プロデューサーなど。日本文藝家協会会員。

山根一眞オフィシャルサイト
http://www.yamane-office.co.jp
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