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第6回 クモが夢見たインターネット網(前編)

2015月6月17日 山根一眞

クモの巣は同心円ではなくらせん状

 忘れてならないのは、インターネットだ。そのネットワーク構造は「www=world wide web」。
 私たちにとって「web=ウェブ」という言葉はすでに日常語だが、その意味は「クモの網」。「www=世界を覆う規模のクモの網」なのです。
 AからBへとあらゆる道筋でアクセス可能にする情報ネットワークを創り上げたところ、なーんだ、すでにクモが糸で作る網と同じ構造だったじゃないか、ということなのだ。
「インターネットはクモの網」と説明するネット上の図の数々。
 ところで一見同心円状、実際はらせん状の円に広がるクモの網を私たちは「クモの巣」と呼んできたが、あれは「巣」ではなく獲物をとるための「網」。
 クモ自身が棲む「巣」は別のところにある。ということを、わかりやすく描いた最新刊が『クモと糸』(「月刊たくさんのふしぎ」2015年3月号、福音館書店)だが、その本を書いたのも池田博明先生です(絵は荒川暢さん)。
クモがつくるネットは「クモの巣」ではなく「クモの網」であることをわかりやすく描いた絵本『クモと糸』。
 かくして私は、池田先生の影響でやたらとクモを見つけては、まじまじと観察するようになりましたです。
 百科事典の背から出てきたハエトリグモはおもに家屋内に棲息しており、小さなハエなども捕獲している「益虫」だが、チャタテムシ(おもにヒラタチャタテ)も食べているという。
 チャタテムシ?
 
 これは、1mmほどの微小サイズの昆虫で、ダニやらシラミやらよりちょっとだけ大きい。湿度が高い書棚では本を食う害も起こしているという。
 と、知って思い当たることがあった。
 私の数年前までの書斎は古いマンションだったので、壁に結露しがちだった。引っ越し時に件(くだん)のドイツ百科事典を収めていた書棚を動かしたところ、背面の壁にキノコが生えていたほどだった。
 ドイツ百科事典はこの旧書斎での10年間に背表紙がぼろぼろになるなど劣化が進んだのだが、それはチャタテムシが食いまくっていた可能性が大きい。チャタテムシは湿度が高い書棚で、背表紙部分に使われている糊(有機物)を食い続けたため革の背表紙が剥がれていったのではないか。
 古い百科事典の背表紙からミスジハエトリというクモが出てきたのは、そのチャタテムシをエサとするため背表紙に潜んでいたからに違いない。となれば、ミスジハエトリは我が愛用のドイツ百科事典の劣化防衛隊だったことになる。
 クモちゃん、ありがとうね。
 背表紙から小さなクモが出てきのを見た私のスタッフは、「クモ、いやだ!」と声をあげたが、「クモ=不快な害虫」は冤罪だったことになる。
 と、クモへの思いが膨らみ、ドイツの百科事典『Meyers Großes Konversations-Lexikon 1905』では、「クモ」をどんな風にとりあげているのかを読んでみたくなった。
 早速、「クモ」のページを開いてみた。
 ドイツ語で「クモ」は「Spinnentiere」と書く。「Spinnen」は「糸を紡ぐ」、「tiere」は「動物」を意味する。「糸を紡ぐ」+「動物」を合成した語を「クモ綱」としているのはじつにわかりやすい。
 この『Meyers Großes Konversations-Lexikon』は1525点の美しいイラスト解説図を収載していることが「売り」ゆえ、クモの美しい図があるのではと期待した通り、ありましたね、2ページにわたって見事な図が。
 この図について調べてみたところ、欧米ではこのページの図を複写拡大して額絵として販売している業者がいるみたいです(著作権が切れているので)。
 そこで、この図をスキャンして池田先生にお送りしたところ、描かれている各クモの画像について詳しい説明の返信をいただきました(ホントにすごい)。
『Meyers Großes Konversations-Lexikon 1905』のクモのページの図版について、池田博明先生から寄せられた解説。 ①学名からはハラビロアシナガグモ。本来は水平円網なのに図の網が垂直で描かれているため当初は間違いと思いましたが、最近、私はアシナガグモが橋の欄干で「垂直円網」を張っている姿を観察しました。 ②この図はミズグモの生態を描いた図で有名なもので、モーリス・メーテルリンク著のミズグモに関するエッセイ『ガラス蜘蛛』の邦訳版(2008年、工作舎刊)に似たタッチの絵が掲載されていました。 ③イエタナグモ、英語名はHouse spider。日本のクモですとヤチグモに近い習性を持っています。母グモが取ったエサを子グモに与えるという子の世話をします。 ④現在このクモは分類学の父と言われるリンネの友人であるクラークが1757年に記載したヤミイロカニグモの一種(Xysticus cristatus )の同物異名とされています。 ⑤ニワオニグモ。ヨーロッパではもっとも普通のオニグモで英語名はGarden spider。 ⑥学名からはコモリグモの一種(触肢の構造からみてオス)と思われます。 ⑦この右の動物はクモではなくヒヨケムシというクモ近縁の動物です。英語名はCamel spider。
 このドイツの百科事典のクモの図および記述には、当時のクモ学の水準ゆえだろう、あいまいだったり不正確な部分があるという指摘には、なるほどと思った。
 研究が進むにしたがってそれまで明らかにされた生態や分類、同定が変更されたり新発見が追加されるのが科学の世界だ。
 池田先生の説明を通じて、「調べもの」ではひとつの資料や文献にのみ頼るだけではなく、時代を追って新しい資料や文献、発表にも目を通さねばならないという教訓を得ることができた。それは、生物分野に限らず歴史上の事件を調べる際の資料や文献の「調べもの」にも言えることに違いない。
 ところで、この『Meyers Großes Konversations-Lexikon 1905』のクモの図では、じつは2ページ目の図にびっくりするものを発見したのだ。
 何と、このページの左隅に何か虫の死骸がこびりついていたので、よーく見るとそれは「クモ」だったのです!!
百科事典のクモのページの隅に貼り付いていた体長さおよそ4mmのクモの遺骸。
 こんなことがあるのか!
第6回 クモが夢見たインターネット網(前編)
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著者プロフィール
山根 一眞(やまねかずま)
 ノンフィクション作家・獨協大学特任教授
 1947年、東京生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。20代からジャーナリズムの仕事を開始。先端科学技術や情報分野、アマゾン環境問題など広いテーマで「謎」を追い求めてきた。NHK総合テレビでキャスターを7年こなし、北九州博覧祭では「ものつくりメタルカラー館」の、愛・地球博では愛知県の総合プロデューサーをつとめた。2009年から母校で経済学部特任教授として環境学や宇宙・深海、生物多様性などをテーマに教鞭もとっている。3.11で壊滅した三陸漁村・大指の支援活動も続けている。主な著書に単行本と文庫本25冊を刊行した「Made in Japan」を担うエンジニアたちとの対談『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館)、『環業革命』(講談社)、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス、東映で映画化)、『小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦』(講談社)など多数。『日経ビジネスONLINE』では「ポスト3.11日本の力」「山根一眞のよろず反射鏡」を連載中、福島第一原発の廃炉技術も追い続けている。理化学研究所相談役、日本生態系協会理事、宇宙航空研究開発機構客員、福井県文化顧問、2018年国民体育大会(福井県)式典総合プロデューサーなど。日本文藝家協会会員。

山根一眞オフィシャルサイト
http://www.yamane-office.co.jp
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