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第12回 発掘!「福井恐竜学」の現場
2015年9月24日 山根一眞

5㎜四方の卵の殻で恐竜と特定

 ここに至って、再びもやもやとしていた疑問がわきあがる。
 かつて、恐竜化石はゴビ砂漠などユーラシア大陸での発掘が広く知られていたが、周囲を海に囲まれている日本列島という小さなエリアに、なぜ、多くの恐竜が棲息できたのか?
 「福井県で恐竜化石が出た」と聞くと、「そうか、かつてここは恐竜の繁殖エリアだったのか」と思ってしまうのだが、ちょっと違う。地球史という時間スケールでみると、福井県は今の場所にあったのではない。それどころか、現在の日本列島の位置は海だったのだ。では、恐竜化石が出る手取層群はどこから来たのか? それは、ユーラシア大陸の東縁、今の中国の沿海部から「移動」して来たのである。
 地球はいくつかの巨大な岩盤(プレート)で覆われていて、そのプレートはいずれも静かに移動している。その移動による歪みが一気に解消されると巨大地震が発生する。
 このプレート理論は東日本大震災でかなり知られるようになったが、およそ2000万年前に手取層群を含む後の「日本列島」もそのプレートの動きによってメリメリと大陸から切り離されて静かに長い時間をかけて移動を続け、さらにちょっと回転して約100万年前にほぼ現在と同じ日本列島が作られたことがわかっている。
 つまり、福井などで産出する恐竜化石は、日本列島がまだ大陸の一部だった時代に地層に閉じ込められた後に、2000万年近い年月をかけてプレートという乗物によって現在の日本の位置にまで移動してきたのである。
プレートの移動で日本列島が形成された。(出典:勝山ジオパークの資料をもとに構成)
 中国は恐竜研究が盛んで福井県立恐竜博物館との密な共同研究が続いてきたが、それは当然。1億数千年前には、中国も日本もなく、いずれも同じ大陸の一部だったからだ。プレートの移動で地層や岩石はかなりの熱や圧縮による変形を受け、当然それに含まれる恐竜化石も保存状態がよくないケースが多い。それでも「中国」で出た恐竜化石と同じものが「日本」でも出る可能性は大きい。
 福井県立恐竜博物館が中国の恐竜展を開催、また、現在、開館15周年特別展として「南アジアの恐竜時代」を開催しているのも、地質時代のユーラシア大陸の生物世界は、日本だの中国だのという国境とは無関係だったからなのだ。
 一方、その割に、福井県から続々と「新種」の恐竜が発見されるのはなぜなのか?
 非常にラッキーだったということもできるが、じつは恐竜の種類はきわめて多く「1万種はいたのではないか」と言われることが理由かもしれない。では、どうしてそんなに数多い恐竜がいたと考えられるのだろう?
 それは、恐竜が生きていた時代がとてつもなく長かったためなのです。恐竜が誕生したのはおよそ2億5000万年前だが、その生息は6500万年前に絶滅するまで、じつに1億8500万年におよんだ。
 人類の誕生には諸説があるが、猿人=アウストラロピテクスを原点とすれば、現生人類までは約500万年だ。この人類史と比べると、恐竜はじつにその37倍もの長い年月にわたって誕生、進化を繰り返してきた計算になる。
 当然、ある種は途中で絶滅、新たな恐竜へと進化を続けてきた。いくつもの「恐竜進化図」を眺めると、そのさまがよくわかる。1億8500万年の間にじつに多種多様の恐竜が生まれては消えているのだ。
 現在、世界に棲息している鳥類の数はおよそ1万種にのぼる。「今」という瞬間だけでも1万種の鳥類が棲息していることを思えば、「恐竜が1万種はいた」という話は説得力がある。
 それだけの種がいたのであれば、「手取層群」で発見・発掘した恐竜が「新種」であることは不思議ではない。それはまた、今後も続々と福井県から新種の恐竜が発見されることを期待させるのだ。
 100年後のJR福井駅前広場では100頭もの「福井産の新種の恐竜」が「ガオーッ」とお客様をお迎えしているかもしれないです。
 さて、かつてのユーラシア大陸の一部だった恐竜化石産地、「北谷」を見たからといって、それですべてではない。
 研究者たちの恐竜化石探しは、さらに広い範囲で続いているからだ。
 昨年(2014年)の夏、恐竜博物館に特別館長の東さんを訪ねた時、若い研究者によるある研究を紹介された。それは、この地で発見された「恐竜の卵」の研究成果だった。そして見せられたその卵の「殻」にはたまげましたね。わずか5㎜四方という小さなものだったからだ。それを電子顕微鏡で解析するなどして論文にまとめたというのだ。
福井県立恐竜博物館の研究者はこんな小さな恐竜の卵の殻を調べ論文にまとめている。(写真・山根一眞)
 「いったいどうやってこんな小さなモノが『恐竜の卵の殻だ!』だとわかったんですか?」
 東さんは、こともなげにこう言うのだった。
 「研究者ならわかりますよ」
 そして、
 「明日、恐竜の卵の殻を探しに行くんです。クルマで少し走り、クルマを下りて15分くらいの場所です」
 そんなに近い場所ならぜひ見たいとお願いし、同行させてもらうことにした。
 そこは、大規模発掘現場の北谷からさらに奥へと、四輪駆動車で林道を進んだ場所だった。
 クルマから降りた東さんが、「この先です」と向かったのは林道からずり落ちそうになるほど険しい谷の底だった。
 下る道はない。藪をかきわけながら急斜面を下っていくのだが、イノシシの巨大な巣穴らしきものがあるなどとんでもないルートだった。同行の若い研究者がハチに襲われるパニックもものとせず、確かに15分で谷底の渓流に着いたのだが、「あ、ここじゃなかったな」と、東さんは渓流沿いにさらに上流へと谷底を流れる渓流に足を入れ、サブザブと浸かりながら進むのでありました。
福井県勝山市、杉山川上流での「恐竜の卵」を探すフィールドワーク。(写真・山根一眞)
 「よく、こんな場所がわかりますね?」
 「このあたりはずいぶんと調査で歩いていますから。でも、ここは久しぶりだったのでちょっと間違えました」
 残念ながらこの日は時間切れで恐竜の卵の殻の破片は発見できなかったが、それにしてもこういうとんでもない場所を歩きながら、あのわずか5mmという恐竜の卵の殻を見つけてきたのが、恐竜研究者たちなのだ。そして、こういう地道なフィールド調査を何十年と続けてきたことが、今日の「福井県=恐竜王国」の礎となったんだなぁと実感しましたです。
 今年の6月に恐竜博物館を訪ねた際には、恐竜の脳の構造解析・研究によって大成果が得られたという話を聞いたが、これは学術論文の発表がまだ先なので記せないが、あらためてご紹介したいと思う。
 「調べもの」とは、未知の疑問や謎に対して揺るぎない事実を探し出し、解明し理解することだが、恐竜研究者たちの「調べもの」の真摯さは、人間ならではの創造的行為だなぁと、しみじみと思った次第です。
<第12回了/恐竜シリーズはさらに続きます>
●次回は、10月5日更新の予定です。
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第12回 発掘!「福井恐竜学」の現場
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著者プロフィール
山根 一眞(やまねかずま)
 ノンフィクション作家・獨協大学特任教授
 1947年、東京生まれ。獨協大学外国語学部ドイツ語学科卒。20代からジャーナリズムの仕事を開始。先端科学技術や情報分野、アマゾン環境問題など広いテーマで「謎」を追い求めてきた。NHK総合テレビでキャスターを7年こなし、北九州博覧祭では「ものつくりメタルカラー館」の、愛・地球博では愛知県の総合プロデューサーをつとめた。2009年から母校で経済学部特任教授として環境学や宇宙・深海、生物多様性などをテーマに教鞭もとっている。3.11で壊滅した三陸漁村・大指の支援活動も続けている。主な著書に単行本と文庫本25冊を刊行した「Made in Japan」を担うエンジニアたちとの対談『メタルカラーの時代』シリーズ(小学館)、『環業革命』(講談社)、『小惑星探査機はやぶさの大冒険』(マガジンハウス、東映で映画化)、『小惑星探査機はやぶさ2の大挑戦』(講談社)など多数。『日経ビジネスONLINE』では「ポスト3.11日本の力」「山根一眞のよろず反射鏡」を連載中、福島第一原発の廃炉技術も追い続けている。理化学研究所相談役、日本生態系協会理事、宇宙航空研究開発機構客員、福井県文化顧問、2018年国民体育大会(福井県)式典総合プロデューサーなど。日本文藝家協会会員。

山根一眞オフィシャルサイト
http://www.yamane-office.co.jp
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