イラスト 【第29回】 五月
 「風薫る五月」なんて言って、現代では五月は一年のうちでも最も爽やかな、気持ちのいい月の一つとされている。五月五日の「こどもの日」をはじめ、国民の祝日が目白押しの「ゴールデンウイーク」と呼ばれる大型連休がどーんときて、行楽地が賑わう時期でもある。
 そんな「五月」が、かつては「悪月(あくげつ)」と呼ばれ、一年のうちでも最も忌まわしい月とされていた、と言ったら、意外に思う人も多いのではないか。
 手元の『年中行事辞典』(西角井正慶編、1958年発行)によると「5月に屋根を葺くと頭がはげるという伝えもある」。いや、頭がはげるどころじゃない。平安後期に成った『大鏡』序によると、語り手の翁、夏山重木は五月に生まれたばっかりに、銭十貫で母親に売られてしまう。重木の養父によると、その母親は、
「自分は十人子を生んだが、これは四十歳の時の子である上、“五月にさへ生まれてむつかしきなり” ・・・ 五月生まれでさえあるから厄介なのだ ・・・
と言って売りたがったのだという。
 なんで五月生まれの子が厄介なのか。
 それはどうも古代中国の迷信にもとづくらしい。
 約二千年前に書かれた『史記』巻七十五「孟嘗君列伝」(以下の書き下し文は水沢利忠『史記』九 明治書院を参考にした)によると、斉(せい)の宰相を父にもつ孟嘗君(もうしょうくん)は五月五日に生まれた。そのため父は、孟嘗君の産みの母に、
「育ててはならぬ」
と、棄てるよう命じた。けれど母親はこっそり育てて、大きくなった息子をその父親に会わせた。父親が「棄てろと言ったのに」と怒るので、孟嘗君は、
「なぜ父上は五月生まれの子を育てるなとおっしゃったのか」
と問うと、父は答えた。
“五月の子は、長(たけ)戸(こ)と齊(ひと)しくば、将(まさ)に其(そ)の父母に利(り)ならざらんとす” ・・・ 五月生まれの子は、背丈が門より高くなって、父母に害をなすと言われている ・・・ と。
 そこで孟嘗君は、
「人の運命は天が支配するのであって、門の戸が支配するのではないはず」と言って父を感服させ、身分の低い妾の子にもかかわらず、四十人以上いる子供たちの中で、父の跡継ぎとなって、領主となったという。
 五月五日生まれの孟嘗君は続く記事によると、背丈が門に届くどころか、“小丈夫”と笑われていて小男だった。しかも結局、親も害さず、凄い出世を遂げたのだから、父の言葉が迷信以外のなにものでもないことを存在そのもので証明したわけだが。
 このくだりを初めて読んだとき、今はこどもの祭と祝われる五月五日が、その日に生まれた子は「棄てろ」と親に言われるほどの不吉な日と考えられていたことが衝撃だった。『史記』から千年以上あとの、日本の『大鏡』にしても、五月生まれの重木は母に売られているし。まぁその重木も百八十歳という超長生き老人だったわけで、めでたいことではあるのだが。その極端さがかえって五月が特異な月と思われていた証拠な気もするし、長生きしたり出世したからといって、親に害をなさないとは限らないしで、五月に対する私の警戒心は育っていったのである。

 そんな私の心に、平安中期の『源氏物語』のこんな記述が引っかかるのは当然である。
 主人公光源氏の弟螢宮が、美しい玉鬘にプロポーズするのだが、その際、螢宮は、
“五月雨(さみだれ)になりぬる愁(うれ)へ”(「螢宮」巻)をする。
「もう五月雨の季節になっちゃったじゃないか」
と結婚を焦って訴えるのである。小学館の日本古典文学全集の校注には「五月は結婚を忌む風習があった」と、書いてある。
 なんと五月は、その月生まれの子だけでなく、結婚も避けられていたのだ。
 なぜ五月はこんなにダメなのか。
 と思って先の『年中行事辞典』を見ると「五月忌(さつきいみ)」という言葉があって、五月は、田植に来臨する「田の神」を、早乙女(田植え女)が巫女の資格で迎えるため、女たちだけで家に籠もる行事があった。本来、五月五日は「女の忌みごもりの祭」であって、「今でもこの日を女の家・女天下の日という所があ」るという。つまり五月五日はもともと女の子の節句だったというのだ。ガーン。しかも「若者が成年式を受ける大切な時でもあ」り、性交を控え、身を清めなければいけなかったという。それで「婚礼を忌む風」があったのだ。
 なるほど性交を避けろというんじゃあ、結婚もできないわけである。
 ただ、それだと、五月生まれの子を棄てろという古代中国や『大鏡』に見える迷信の説明はしにくい。そもそも古代中国では、五月に、薬草を摘んだりして、病気や災厄を払う行事があって、これが日本の端午の節句とも関係するらしいから、そのへんに謎を解く鍵があるのだろうか。
 単純に考えると、旧暦五月は今の六月に当たり、雨が続く梅雨時で、カビや病原菌が繁殖し、食中毒や病気になりやすいから、この時期、清めや払いの行事があっても不思議じゃない。梅雨は北海道を除く日本のほか、朝鮮南部、中国では揚子江(長江)流域特有のものというから、たとえば長江流域で、不衛生になりがちな五月に生まれた子は親にとって育てにくいということで、なるべく五月に子ができないよう計画出産すべきといった意見が発生したのかもしれない。それがだんだんと「五月生まれの子は親に害をなす」「棄てろ」と、エスカレートしたのではないか。五月の節句に子供の成長を祝うのも、「子供を育てにくいこんな季節によくぞ大きくなった」と祝い、「これからも無事、育ちますように」との願いをこめて、厄払いする意味があったのでは?
 五月に屋根を葺くとはげるとかいう日本の伝えも、梅雨時は雨でしじゅう屋根が濡れるから、屋根を葺くにも時間がかかり、その割に完成度も低く、頭もびしょ濡れになる。要するに「梅雨時に屋根を葺くのはよせ」と言いたいのを、脅し的に「頭がはげる」と表現したのではないか。「夜、口笛を吹くと蛇が来る」とか「みみずに小便をかけるとおちんちんが腫れる」的に。セックスもできない、屋根も葺けない、なにかとストレスフルな昔の五月だったのだ。


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